他のレビュアーの方も書かれている通り、この小説の情景描写の濃度の高さ、緻密さは圧倒的です。読んでいる間はそれをこなすのに精一杯ですが、読み終わるときにはストンと腑に落ち、カタルシスを味わえるでしょう。
この情報密度の高さは、ひとつに、上演済みの舞台作品を小説化したことに関係があるように思います。作者は、舞台の観客が劇場で体験したイメージのすべてを、小説の読者が共有できるように望んでいるのではないでしょうか。
現実の舞台には、戯曲だけでは表し切れない細かな演技に加え、舞台装置や照明や音響といったさまざまな効果が含まれます。舞台の上の俳優が入れ替わるのを追うように、主観が入れ替わり、スポットライトが当たるように、描写がクローズアップされます。その一方で、箱庭を見下ろすような俯瞰的な視点も感じられます。とにかく演劇的です。
このように情報が凝縮された文章を、通常の小説と同じ感覚で読んでいくと、ページをめくってもなかなか時間が経過せず、もどかしく感じる方もいるかもしれません。
そこで、ウォーミングアップとして、作者の処女小説集である『江利子と絶対』を先に読まれることをお薦めします。たぶん、体感速度と小説の中の時間の経過にずれがなく、これが本谷さんの小説の基準になると思われます。その上で『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』を読めば、「あ、ここは演出だな」とぐいぐい読み進めること請け合いです。
読み終わり本を閉じるときには、劇場を出た観客が感じるのとよく似た満足感をきっと味わえると思います。