本書『脳内ニーチェ』は、ニーチェ晩年の名著「アンチ・クリスト」の超訳で名を上げられた適菜収による、「ニーチェ」を出しにして書かれたライトノベル?である。適菜氏は、ご自身の「脳内」で解釈したニーチェの教説を介して、世界のしくみを暴露しつつ、病んでいる現代日本に切り込みをかける。
お話はといえば、ニーチェが現代日本に降臨/憑依 して、講釈/説法をするといったSF仕立てのもの。小説としてはあまりに面白くないが、ニーチェの思想がきわめてあっさりと敷衍・祖述されているので、ポップな思想系の読み物としてならそこそこ楽しめよう。
書かれ方は軽妙なテンポ、あるいはいささか躁病気味のノリで、多少通俗に堕してはいるものの、かといって断じて下品ではない。
西欧精神史における「負の遺産」を舌鋒鋭く追及しているところは実に痛快である。
適菜氏経由のニーチェの弁をいくつか紹介しようじゃないか。これはあくまで評者である私のチェリーピッキングだが。
「プラトンが歴史に毒をもったのだ。プラトンが神を歪めたのである。プラトンの詐欺の構造を利用したのがキリスト教の開祖パウロであり、キリスト教を原理主義化したルターであり、偽装キリスト教開祖のルソーである」p90
「パウロだ。イエスとは正反対の考え方をもつ男だ。キリスト教には、イエスの教えはなにも残っていない。あれは下層民の呪いが集約された邪教なんだ」p109
「プラトンは神の姿を改変した。パウロはそこに≪善のみの神≫≪不健康な神≫を押し込んだ。ルターはその原理主義化を進め、神と直通の回路を開いた。ルターはその原理を近代イデオロギーに仕立て上げた。彼ら僧侶階級は、≪神≫を独占することで世界を支配してきた。民族の神は姿を消し、一面的な神が世界を闊歩するようになった。こうしてオレたちは≪病気≫になった」p180
いかがであろうか。著者はニーチェの思想を援用しながら、西欧の精神的根幹であったプラトニズム(プラトン)とその≪大衆版≫であるキリスト教(パウロ)、プロテスタンティズム(ルター)、そしてそれらをルーツとしてもつ民主主義(ルソー)や社会主義の成り立ち、システムを、もののみごとに炙り出している。一神教にせよ社会主義にせよ、抑圧→革命→復讐という点では似た構造を有してはいないか。異論・反論の余地はいくらでもあろうが、私は浅学の身分でありながらも、上の見解を「諒」としたい。
あとニーチェの「超人」思想であるが、あれほど厄介なものもあるまい。「超人」というものを「社会的強者とか肉体的強者と捉えるのは間違い(略)。超人は、聖者でも天才でも英雄でもない。そもそも一般庶民が目指すべきようなものではない」p170。にもかかわらずそう思い込んで、そのようにふるまう人が結構いるから困る。超人というのは「既成の価値に頼らず、ニヒリズムに耐え、健全で、復讐感情から解放され、おのれの価値基準に則り生きる者」p171と、さしあたり著者は定義している。私もそのように解釈したい。
知的にも精神的にも未熟な人がニーチェなどを読んだ場合、変に昂揚感を覚え、偉くなったような錯覚を起こし、他者に不遜な態度をとる。そういう事例が少なくない。
本書はニーチェを適当に薄め、おもしろおかしく啓蒙している。