確かにこの本の記述には素朴過ぎる部分がある。この分野で営々と積み上げられた諸説の厚みを無視した、あまりにナイーブな議論と責められても仕方ない面がある。哲学畑のうるさがたからすれば、ちょっとした皮肉の1つも言いたくなるだろう。
しかし私としては、意識の問題を工学的な問題と絡めて考えているところが面白かった。著者の思考の筋道はこうだ。<脳はニューラルネットだ → 意識について従来言われてきた難問も、ニューラルネットの考え方で解決(または解消)できる → 人間的な意識をコンピュータに実装できる見込みはある>
脳は情報を自律分散処理するニューラルネットと考えられる。すべては無意識下で進行し、意識とはその情報処理を直列演算の形式に翻訳したモデルに過ぎない。感覚なども脳が意識上にでっち上げるオーグメンテッド・リアリティ。この考え方で脳のバインディング問題が解消(解決ではなく)される。著者はリベットやノーレットランダーシュと違い、意識には拒否権すら認めないが、この思いっきりのよさは、やはり特筆すべき。
さて、そうすると問題になるのは、なんで意識なんかあるのかという点。ここで著者は意味記憶とエピソード記憶の区別を持ち出す。昆虫のような単純な生活をする上では、一般的な意味の記憶だけで事足りるが、高度な認知活動を実現するにはエピソード記憶が不可欠だと言う。そしてこのエピソード記憶を発生させるには、意識の存在が前提になる。感情がこれに強弱をつけ、ニューロン接続の比重配分を決める。この理論の利点は、生命史における「意識の誕生」をそれほど革命的な飛躍と考えなくてもよくなる点だ、と著者は言う。かなり納得。
著者はここでクオリア問題にも触れていて、それがまた興味深い。著者によればクオリアとはパタン情報処理に過ぎず、入力層と出力層を多次元パタン化して、空間的に分布して時間的に発展する情報処理を実現できれば、コンピュータにもクオリアが発生すると主張する。そういう訳で、人間のような心を持ったロボットは、進化的計算の援用などによって案外容易に実現できるはず、とのこと。
私としては、結局は進化というブラックボックスに重荷を押し付けてしまう傾向や、コネクショニズムに対する古典的計算主義からの批判について検討されていない点が不満だが、いろいろ考えさせてくれる内容だった。推薦します。