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31 人中、26人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
小林秀雄が泣いている,
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レビュー対象商品: 脳と仮想 (単行本)
「クオリア」について茂木はこんな風な説明をしている。---(以下引用)P19--- 人間の経験のうち、計量できないものを、現代の脳科学では「クオリア」(感覚質)と呼ぶ。 (略) およそ意識の中で「あるもの」と他のものと区別されて把握されるものは、全てクオリアである。 赤い色の感覚、水の冷たさの感じ。そこはかとない不安。たおやかな予感。私たちの心の中には、数量化することのできない、微妙で切実なクオリアが満ちている。私たちの経験が様々なクオリアに満ちたものとしてあるということは、この世界に関するもっとも明白な事実の一つである。 ところが、科学は、私たちの意識の中のクオリアについては、その探求の対象としてこなかった。探求の対象にしたくても出来なかったのである。一体、脳という物質に、なぜ心という不可思議なものが宿るのか、その第一原理を明らかにする努力を科学は怠ってきた。方法論的に歯が立たなかったのである。 ---(引用終わり)--- そのように「クオリア」を扱えない「科学」が何を扱っているのかと言うと、前記、引用部の直前に茂木は、小林秀雄を引き合いに出しながら『科学は、経験を「計量化できる経験」だけに絞った』(P17)と書いている。 ところで「クオリア」に関する説明部分には『計量できないものを、現代の脳科学では「クオリア」(感覚質)と呼ぶ。』と書いてあって、そもそも科学の探求の対象からこぼれおちたもの(計量できないもの)を「クオリア」と呼ぶようになったっていうのに、科学はそれ(クオリア)を対象にしたくても出来なかった、って・・・おかしくねえ?。 科学は別にそれ(クオリア)を対象になんかする気はなく、端っから目もくれずにいたから、事改めてそれを「クオリア」などと呼ぶようにしたんじゃないのかい。すくなくとも茂木の説明からすれば、科学の探求の対象(計量できるようなもの)になった時点で、定義上それは「クオリア」ではなくなるということで、そんなもの科学的方法論で歯が立たないのはあたりまえじゃないか。 茂木は自身も関わっているらしいその営みを「脳科学」だと自称しているが、では、いつから「科学」は「計量できないもの」を扱うようになったのか、「計量できないもの」を扱うご自身の営みがどのように「科学的」なのか、なんの説明も与えておらず、その論述が本当に、(脳)「科学的」なのかは、極めて怪しいと言わざるを得ない。
46 人中、35人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0
情緒過多の雑談集,
By お留守居役様 (東京都品川区) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 脳と仮想 (単行本)
まずいうべきことは、本書は、認識論に関する論文ではなく、また、最新の脳科学の成果が述べられているわけでもない。 綺麗に言えば、心理学に関する文学的随筆集。 ありていに言えば、雑談集。 研究成果や事実や証拠を示しての論証がないからである。 文体は、恥ずかしくなるほどロマン的である。 第6章の最後に 「仮想」といっているのは「幻想」もしくは「空想」と言うべきことである。 「仮想」といえば、「仮に想う」ということであり、 ではなぜ「幻想」といわずに「仮想」と言ったのか。 また、著者の科学批判に賛同できない。
34 人中、26人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
既読感に満ちた書,
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レビュー対象商品: 脳と仮想 (新潮文庫) (文庫)
本を読んでいる間、常にデジャビュならぬ既読感を持ち続けました。どこかで読んだことのある思想を、もう一度とても分りやすいかたちで 文章にしている本です。オリジナリティがまるで感じられない。 仮想からいきなり魂になる持っていき方もよく分らない。 著者のものを考えるきっかけとなったらしいエピソードも、ひどく嘘っぽい感じ。 テレビのバラエティ番組でタレントに混じって出演している著者を見てびっくりしましたが、あんなものにも出るんですか、といっても、仮想論ですらすら説明されて、こちらのものを見る目を批判されそうです。でもねぇ。
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