出版社/著者からの内容紹介
いまやDNAの天下である。個人の外見や体質はもちろん、性格や運命までもがDNAに支配されているかのような言説が幅を利かせている。しかし、実は最新の科学では、DNAの絶対的地位は揺らぎつつあるのだ。気鋭の生物学者がわかりやすくユーモラスに遺伝の基礎知識からRNA研究の最前線までを解説。そろそろDNA至上主義から解放されようではないか。その先には新しくて自由な生命観が待っているのだから。
内容(「BOOK」データベースより)
いまやDNAの天下である。個人の外見や体質はもちろん、性格や運命までもがDNAに支配されているかのような言説が幅を利かせている。しかし、実は最新の科学では、DNAの絶対的地位は揺らぎつつあるあるのだ。気鋭の生物学者がわかりやすくユーモラスに遺伝子の基礎知識からRNA研究の最前線までを解説。
著者について
1969(昭和44)年三重県津市生まれ。名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。東京理科大学理学部第一部講師。専門はDNA複製の分子・細胞生物学。著書に『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか』『DNAの複製と変容』『生命のセントラルドグマ』など
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
武村 政春
1969(昭和44)年三重県津市生まれ。名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。東京理科大学理学部第一部講師。専門はDNA複製の分子・細胞生物学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1969(昭和44)年三重県津市生まれ。名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。東京理科大学理学部第一部講師。専門はDNA複製の分子・細胞生物学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
抜粋
まえがき
今の世はDNAの時代だ、などと言われることがある。
DNA産業と呼ばれるビジネスも盛んになってきた。
ヒトゲノム、すなわち私たち人間の全DNAの塩基配列が解読され、その体を作り出しているもととなる情報が全てわかり、私たちの一生はそれこそDNAに全て支配されているといったような、何となく恐ろしげで、かつ人々の不安をかきたてる物言いが、そこここで安易に成される時代になった。そしてこのことは、今やほぼ、この人間社会の常識にもなっているに等しい。
しかし、である。
常識を疑ってかかることは、じつは科学の発展、そしてときには社会の発展に非常に大切なことであると、私はここで声を大にして言いたい衝動に駆られている。
この本ではDNAにおける常識、そしてDNAといえばすぐに連想される「遺伝子」における常識について、ひとつ疑ってかかりたいと思っている。
DNAの時代という物言い、あるいはDNA産業それ自体には、倫理的問題が様々につきまとうにせよ、まだ許容できる範囲内にある。
しかしながら、そうしたことに踊らされて、冒頭に述べた「生物はDNAに支配されている」といったような、何となくほぼ常識になってしまった考え方に縛られてしまうのはよくないのではないかと思うのだ。
そしてその結果もたらされた、現代日本社会に蔓延しつつある「DNA至上主義」という「何となく常識」は、ぜひとも疑ってかかる必要がある。いや疑ってかかる、というよりも本書を読了されたあとには、そのような「何となく常識」はひっくり返っていることを保証しよう。「DNA至上主義」とはここでは私が勝手に作った言葉だけれども、それは要するに、最後に「DNA」を持ち出せば何でも解決されるだろうという、安易な考え方のことである。
そもそも「DNA」とは? そして「遺伝子」とは、果たしてどういうものなのだろうか?
じつは最近の「DNAブーム」の根底には、DNAのこと、遺伝子のこと、そして生命現象のことがあまり理解されずに行われる「空騒ぎ」があるのではないか、そんな気がしてならないのだ。
今の世はDNAの時代だ、などと言われることがある。
DNA産業と呼ばれるビジネスも盛んになってきた。
ヒトゲノム、すなわち私たち人間の全DNAの塩基配列が解読され、その体を作り出しているもととなる情報が全てわかり、私たちの一生はそれこそDNAに全て支配されているといったような、何となく恐ろしげで、かつ人々の不安をかきたてる物言いが、そこここで安易に成される時代になった。そしてこのことは、今やほぼ、この人間社会の常識にもなっているに等しい。
しかし、である。
常識を疑ってかかることは、じつは科学の発展、そしてときには社会の発展に非常に大切なことであると、私はここで声を大にして言いたい衝動に駆られている。
この本ではDNAにおける常識、そしてDNAといえばすぐに連想される「遺伝子」における常識について、ひとつ疑ってかかりたいと思っている。
DNAの時代という物言い、あるいはDNA産業それ自体には、倫理的問題が様々につきまとうにせよ、まだ許容できる範囲内にある。
しかしながら、そうしたことに踊らされて、冒頭に述べた「生物はDNAに支配されている」といったような、何となくほぼ常識になってしまった考え方に縛られてしまうのはよくないのではないかと思うのだ。
そしてその結果もたらされた、現代日本社会に蔓延しつつある「DNA至上主義」という「何となく常識」は、ぜひとも疑ってかかる必要がある。いや疑ってかかる、というよりも本書を読了されたあとには、そのような「何となく常識」はひっくり返っていることを保証しよう。「DNA至上主義」とはここでは私が勝手に作った言葉だけれども、それは要するに、最後に「DNA」を持ち出せば何でも解決されるだろうという、安易な考え方のことである。
そもそも「DNA」とは? そして「遺伝子」とは、果たしてどういうものなのだろうか?
じつは最近の「DNAブーム」の根底には、DNAのこと、遺伝子のこと、そして生命現象のことがあまり理解されずに行われる「空騒ぎ」があるのではないか、そんな気がしてならないのだ。
「遺伝子」とは何かと言えば、要するにそれは、親から子へと受け継がれる、たんぱく質やRNA(リボ核酸)の「設計図」のことである。発生学的に言えば「プログラム」であるとも言える。そしてこの設計図あるいはプログラムは「DNA」の形で存在することになっている。
本書の基本的なスタンスは、これに対して、「ほんまかいな、うそやろ」と天邪鬼(あまのじゃく)的な疑問を発した上で、新しい考え方を読者諸賢に提示しようというものだ。
何となく面白そうだと思われた方は、ぜひ本書を最後までお読みいただきたい。DNAや遺伝子に対する考え方、心の持ちようが大きく変わって、人生観に「何となく」変化が持てるようになるかもしれない。
「常識」を捨て去り、その陰に隠れていた本当の知識を手に入れる。
科学は常に進歩し続ける。「DNA至上主義」も、いずれは終焉を迎えるのだ。従って、ここでは臆することなく堂々と、声高らかに表明することにしよう。
そう。「脱DNA宣言」を!