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脱アイデンティティ 単行本 – 2005/12


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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

人はアイデンティティなしでは生きられないのか?一貫性のある自己とは誰にとって必要なのか?賞味期限切れの概念に問題提起。

内容(「MARC」データベースより)

人は「アイデンティティ」なしでは生きられないのか? 一貫性のある自己とは誰にとって必要なのか? さまざまな角度から「アイデンティティ」を分析、その賞味期限切れの概念に問題提起する。

登録情報

  • 単行本: 334ページ
  • 出版社: 勁草書房 (2005/12)
  • ISBN-10: 4326653086
  • ISBN-13: 978-4326653089
  • 発売日: 2005/12
  • 商品パッケージの寸法: 18.8 x 12.6 x 2.6 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.3  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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104 人中、81人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。 投稿者 お気に召すまま トップ1000レビュアー 投稿日 2005/12/31
形式: 単行本 Amazonで購入
「自我」とは一枚板の「本質」や「実体」ではなく、「複数の私」を内部に含む多元的なものだというのが、本書を貫く中心テーゼ。それを、現代日本の若者論3篇(中でもパルコのマーケティング戦略の中枢にいた三浦展論文が面白い)、日本人と「日本語」の相関論(小森陽一)、性同一障害論(浅野智彦)、フェミニズム運動論(千田有紀)など、多様な視点から考察する。上野は序論で、「アイデンティティ」概念が本質主義から機能主義へ、さらには構築主義的に理解されるようになる歴史を概観する。そして、「自我」は言語から創られるというラカンのテーゼも、存在する言語は男性言語だから女性は女性としての自我を形成できない(=「女は存在しない」というラカン派の標語)という点が批判的に検討される。オースティンの言語行為論や、文脈を異にする「引用」という修辞学的概念を活用した、バトラーの自我論についての解説は、明快で有益だ。

「複数の私を同時に生きるアイデンティティ」という視点を確立するには、何よりも言語と自我との関連が重要だが、同時に、ある「アイデンティティ」概念を必要とした歴史的事情を勘案すれば、その概念には「賞味期限」があることになる。このような歴史感覚が上野の優れたところだが、「複数の私」説を確立するためには、「自我の同一性」は本人の責任を問うための前提という近代の「司法的同一性概念」と対決しなければ
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23 人中、18人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。 投稿者 いえす 投稿日 2008/5/29
形式: 単行本
 脱アイデンティティという言葉の中には「さかのぼる」という発想を放棄しようという意図がある。私たちが誰なのかを確認しなければならないときは、私たちが権力構造の中で劣位に置かれたときである。「私たちは○○だ。だから〜したい」という差異の政治学は、このようなアイデンティティを基盤にして行われてきた。そしてアイデンティティを基盤とすることでそのアイデンティティを共有する集団を作り出すという政治的実践を達成する手がかりとなる。
 だが、「自分は○○である」という言葉を発した瞬間、それ以上さかのぼれないアイデンティティを私たちは作り上げてしまう。「さかのぼる」ということが起源を問う作業である以上、アイデンティティを探し求める先には本質主義的なアポリア(行き止まり)が待っている。「私は○○だから〜したい」という問いは、「あなたは○○だから〜なのも仕方ない」という言説によって転覆を図られる。それを上野は適切に「罠」と読んでいる。さらに、アイデンティティを定義することによって、その集団内の差異が均質化されることも忘れてはならない。差異の政治学が優位と劣位の集団の中で形成される一方で、アイデンティファイされた集団においては均質化が行われてしまうという逆説的な結果がもたらされる危険性に対してはナイーブにならざるを得ないだろう。
 だが、その問いを発したときのつまづきを本書は見逃さな
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形式: 単行本
自己同一性の獲得とは、「自分とは何か」を見つけるということであり、
幼児期は、親を、そして青年期には他者を自己の内面に取り込み真似る、身に着けることで、
自己が社会を取り込む成長過程を意味する。

また、「自分とは何か」ということは、自分は他人と比較してどういった特徴があるのか、区別すべき特性は何かという、上記の「社会性、普遍性」とは逆の意味をも含む。この意味で、青年期のアイデンティティーの確立とは、社会と自己との差異を見出す成長的な試みであるとも言える。

こういったことを基礎においた上で、日本の経済成長と購買行動、アイデンティティー思想の影響を総括したのが、第3章である。
アイデンティティーという言葉が広まった80年代には、学校教育にまで、自己同一性の概念が取り入れられ、半ば脅迫的に自己の確立を求める思想があった。このことが、自分らしい洋服、自分らしい車といった消費社会と相互作用して、時代を牽引する原動力ともなった。しかし、21世紀となった今は、もはや、硬直した自分らしさの確立に対する拘りは薄れ、弱い自分らしさの断片を収集する行為だけが残り、一番楽な状態が自分らしさであるといった、「脱欲望的な姿勢」がアイデンティティーの代替となった。インターネットを介した断片的で多様化、多層化したコミュニティーの中を浮遊し、
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