同志社大学の先輩、後輩の関係でもある中村氏と佐藤氏の対談集。
「聖書を語る」とあるが、最近のはやりでもある聖書について述べている部分はあくまで導入部分にすぎず、(プロテスタント)神学を一つの切り口として震災後の日本社会の行く末を読み解こう、というのが本書の目的。聖書やキリスト教の勧誘的な要素は一切なし。
個人主義が行くところまで行きつき、モナド化して「孤人」になり果てた日本人が、先の震災を契機に「日本人としてのサムシング」(天皇でも宗教でもない、日本人として共有している「無意識の領域の宗教的なもの」)を媒介として自発的にまとまっていくのではないか(まとまりたくない人の「まとまらない自由」を認めている点が、戦前より社会が進歩した点)、という両者が導き出した「見立て」には非常に説得力がある。 また、父性的ではなく、母性的なカリスマ(例として複数の政治家名が挙がっている)が必要とされるのではないか、という「見立て」にもそれなりの説得力を感じた。
震災後、佐藤氏は一貫してこのトーンの論考を掲げているが、氏の見立ては日々「深化」しているようだ。
それにしても、「1Q84」を「キリスト教的スタンダードを押さえており、ヨーロッパでも高く評価される」と肯定的に評価する佐藤氏に対し、「個人と家族というテーマ設定に対して、作者としてなんの解答も提示していない」「エヴァンゲリオンの方が作者なりの解答を提示ており、評価できる」として否定的な自説を滔々と展開して見せたり、佐藤氏をして思わず「どうして今ニーチェがはやっているのですか」と問わしめ、それに対し堂々と説得力のある自説(それは神が死んだことに日本人が気付いたからですよ)を展開する中村氏はあっぱれ。