聖書は読みにくい。この誰もが一度は思い抱きながら先生たちはあまり強調しない真実を、日本における聖書学の大家の一人である著者は率直に認め、ではなぜそうなのかを、学生へのアンケートを参考にしながら考える。いわく、正典・古典として権威化しすぎていて堅苦しくとっつきにくい、ひとつながりの物語としては飛躍や破綻が少なくない、登場人物の多さ、旧約の複雑怪奇な戒律の数々や、新約パウロ書簡の一部の難解さ、天地創造やイエスの奇跡の「非科学性」、そして何より、この書物が「神」を主語とするものであるゆえ、信仰を共有していないといかにも「外国語」めいている、等々である。いずれも全くその通りだと思う。それで結局のところ評者も、「聖書入門」や「小説聖書」など要点やハイライトをわかりやすくまとめた本に頼ることが多かった。
そうではいけない、と著者はひとりの真摯な読者として改めて聖書に向き合うことを主張し、その向き合い方を指南する。確かに聖書は読みにくい。だが、そもそも通読するようには構成されてない全体を読み通そうとして苦労するのではなく、文章ごとにじっくりと読解し、現代の常識とは異質な世界観を、個々のエピソートや言葉にこめらえたメッセージごとに理解しようとし、また「神」という主語の背後につつましく存在している執筆者、すなわち過去の人間たちの思いや願いに寄り添おうと提言する。そして何度もつまずいてしまう読みにくい箇所にこそ、実は自分がその言葉によって新たなる自分を発見する真理があるのではないか、と読みにくさの希望を語る。なかなかに説得力がある。
聖書のみならず、おそらくは古今東西の宗教的な古典作品を読む際に求められる態度が、本書では懇切丁寧に述べられているように思う。