キリスト教聖書の日本語への翻訳の歴史を、キリシタン時代からさかのぼり、とくに明治時代から最新訳聖書に使用されている日本語を徹底的に分析した本。
キリスト教の教義と思想そのものは、戦国時代末期のキリシタン時代にあっては当然のことながら、明治時代の日本人にとってもは新しいものであった。
明治時代に行われた、聖書の日本語訳で使用されたキリスト教用語が、中国で出版された漢訳聖書(漢語訳聖書)のものを多く引き継いでおり、このため明治時代の日本人にとっても受容しやすかったという指摘が興味深い。
これは、漢訳仏典をつうじて日本人が受容した大乗仏教と同様、キリスト教もまた漢訳聖書の影響を、最新訳の聖書に至るまで(!)大きく受けていることを意味しているわけだ。
江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)は、禁書であた漢訳聖書と漢訳キリスト教文献をひそかに入手し、影響を受けているらしい。
原典であるヘブライ語とギリシア語から、旧約聖書と新訳聖書が翻訳がされるようになったのは口語訳聖書以降であって、現在の最新訳においても、漢訳聖書で使用されたコトバが生き残っていることが、著者の研究によって示されている。
新しい思想を受容するに際しては、受容する側にその思想を理解するための回路を作らなければならないのだが、その際には従来からの思考の枠組みとコトバが多く利用されるわけである。
これは、キリスト教の布教といった狭い側面に限らず、新しい考え方を普及させるためには必要なことなのかもしれない。
「目からウロコが落ちる」、「笛吹けど踊らず」などの日本語表現が、聖書に由来することを多くの人は知らないようだ。それくらい現在では当たり前の表現になっている。
こういったことも含めて、近代日本語を豊にしてきた「聖書の日本語」について知るための必読書である。