山鹿素行については、思想家であると同時に兵学者としても、神道家としても名の残っている人で、津軽の藩学もその影響を受けているということで興味を持った。この著書は、素行の言行をその門人がまとめたという「山鹿語類」の内の儒教理論部分をまとめた「聖教要録」と、「聖教要録」発表によって赤穂に流された後に遺言としてまとめた「配所残筆」の二部を収録した文庫。巻頭に解説があり、「聖教要録」は漢文書き下し文・白文・現代語訳・語釈が項目ごとに付してあり、「配所残筆」は漢文訓読文・現代語訳・語釈が項目ごとに付してある。巻末に参考文献。
内容のほうを見ていくと、二つの文章はお互いに補い合っている感がある。著者が「聖教要録」での考えに至った経緯を「配所残筆」で語られるその経歴で推し量ることが出来、「聖教要録」発表後に赤穂に移ることになる流れとその後の心境の変化が「配所残筆」で示される。
山鹿素行の思想について考えると、若い頃から多くの中国の書に親しみ、日本の古典文学や仏教や神道にも親しんだことが、幕府御用達の朱子学に安住することの出来ない考えの幅の広さをもたらしたのでは、ととりあえず考えることが出来る。朱子学の首尾一貫した理気二元論を思ってみても、神仏習合の思考と実践を重ねてきた日本の考え方の型とは違和感があるほうが自然だし、より重層的で、だからこそ現実的な論語に遡って儒教を捉えていくのは日本の儒教受容の仕方としてはしっくりくるものだと思う。同時代の伊藤仁斎、そのあとの荻生徂徠に先駆したという素行の思考は、逆に自然で、かつ思想に真摯だった証だったのではと思う。思想なんてどうでもいいというつもりなら、江戸追放という憂き目には遭わなかったはずだろう。
もう一つ面白いのは、「配所残筆」の最後のほうで国粋主義的な考えを明らかにしていて、その口ぶりは本居宣長の語り口と重なっていくということだ。古学と国学、どちらにもつながっていく流れの川上にいる思想家として想定できそうだ。
残念なことに、ここでは兵学者としての著者の姿はほとんどわからなかったが、思想家としての独特さが窺えた著作だった。