大体聖徳太子というものが天皇と仏教を結びつけるための道具であって(この観点から日本書紀の歴史的記述をしていないと言うつもりはありませんが)、天皇という体制を擁護するために使われるのも、仏教を守護するために使われるのも当たり前であって、楠木正成が読んだとか親鸞聖人が読んだというのも、仏教守護、天皇制護持という観点から当たり前であって、このような書が真偽不明であるからといって、正成の天皇に対する忠義的なゲリラ戦術の功績や、親鸞聖人の仏教に対する革命性の、信憑性を薄くするような歴史的事実ではないわけで、あまり真剣に受け取るべきではないでしょう。