著者の、携帯電話に代表される情報機器の普及によって、生活は便利になったものの、人々の思考力の衰退、家族の崩壊などの「退化現象」を起きているという主張には同意できる部分がある。
しかし、本書における、その主張を下支えする記述については大きな問題があると言わざるを得ない。例えば、本書においては、「出あるき人間」というものが退化した日本人の類型として取り上げられているが、実際に「出あるき人間」がどの程度日本に存在するかについて、著者は「ここ五年で劇的な増加を遂げたと私は推測している。もっとも、統計的に調べたわけではないので、詳細は不明なままであるが、増えつづけていることは確かだ。(P.10)」と語るのみである。ところが、このように自ら調査を行っていないことを告白しながら、「増加の引き金となったのは、疑いもなくケータイの普及である(P.10)」と断言している。
「出あるき人間」の実数とその推移を把握していないのに、「増加の原因はケータイである」と主張することは可能なのだろうか。「研究者」が書いているものとは思えない、稚拙な論理展開である。本書においては一事が万事この調子である。
例え主張が妥当なものであったとしても、その根拠を提示する手法に問題があれば説得力を失ってしまう。著者は「はじめに」において「もちろん、一連の推測がまったく見当はずれである可能性も大いにある。だが趣味でしている作業なら、的はずれであったとしてそれが益にならないとしても、またさして害になることもあるまい(P.'F)」、「宝くじでも買ったつもりで、つき合ってくださると幸いである。(P.'G) 」と「逃げ」をうっている。しかし、「京都大学教授」という立場の人間が、若者差別に繋がりかねないこのような本を「趣味」で出す事の問題点を著者は把握するべきだろう。