東北大震災、未曾有の津波による壊滅的被害と、出口の見えぬ絶望的な原発大人災に見舞われている今、痛みを伴う決断を躊躇し、人を頼むに根回しも出来ずにいる菅政権に、かつて利権絡みで原発乱造した責任はどこへやらの自民党のお門違いな政権攻撃。そしてこの大変な時に同じ民主党の内側から脅しをかける小沢一郎。
国民から見える以外の裏事情があるのだろうか?まったくあきれてモノが言えない。
そんな4月初め、震災の記事で紙面が埋め尽くされる中、新聞のかたすみに野中氏が自民党を離党するとの記事を見つけた。
こんな時、野中広務が政権のど真ん中にいれば、どう難問をさばくのだろうかと、つい思ってしまった。
私は特定の政党に思い入れはないが、隙を見せることなく武装した鎧の下から、ときに意外な慈悲深さをのぞかせることのあった野中氏の発言には、時折深く頷くことがあった。
現在はだいぶ変わったのだろうか。昔、野中氏の地盤、京都で生まれ育った私には、理屈の通らぬ、度し難い彼の土地の見えない澱が体感として理解出来る。
氏の登った山道がどんなにか大変な道だったのかは想像に難くない。
60間近になって地方政治から、志の光と私利私欲の闇が交錯する中央政界へ進出する氏。
政敵を震え上がらせる鋭い観察と裏付けする調査力。
時に矛盾をはらみながら闇をも味方に、自らの思う正道を求めて、敵の退路を断ちながら行動する。
政界には被害者?も、さぞ多いことだろう。
しかし多くの政治屋の持つ私欲の影は、なぜか彼には感じられない。
時に強引とも思えるアクの強さも含めてなお、温かく不思議な魅力を感じるのである。
功罪含めて、実に惜しい政治家が表舞台から去ってしまったものだと思う。
魚住氏、松田氏の著作等合わせて読むと、野中氏のバックグラウンドと、戦後、野中氏に近い政界がどのように動いて来たのか、あらましがわかってさらに興味深い。
時代の流れは、その時代に属する全ての人が作り上げるものだ。
大震災から約2ヶ月経った今、激震と巨大津波の被害を前に茫然自失の自治体。
原発がこれだけの惨事になりながら決断力と言葉を欠いた政府、利権を守るため子孫の負債を忘れた推進派。
東電はじめ原子力村企業の巨大金脈にひれ伏し、情報操作するメディア。
政争にうつつを抜かし地獄の亡者のような政界。
そして涙目で、耳障りの良い言葉のみ求め、現実を見ようとしない我々国民。
かつて危機があるたび、水を得た魚のように次々技を繰り出した野中氏である。
そして、まさに今が野中氏の嫌った大政翼賛会の日々ではないか。
昔日、氏は、今日の事態に至る時代の流れの「大きな一端」を担った。さて、今、彼ならどうする。