『マンハッタンラブストーリー』の松尾さんの「具がおおぉぉぉおおおい!!」みたいな。
そんな小説ですよ!これは!
ただの面白いだけじゃないっすよ!内容が深い!
この小説にでてくる連中のちょっとした酷さは良心的な倫理観をお持ちの人には耐えられないほどに腐りきっている。
だって、映画撮影で老人がNG出すかどうかで賭けをすんのだ…。老人がNG出すや出さぬやで一喜一憂するのだ。老人は必死でがんばっとるのに。
これは、笑えない。普通は笑えない。だって悪意しか感じないもの。優しさがない。心がない。温もりがない。なんか嫌な感じがする。
だが、笑える。
この小説は、こんなに人でなしな賭博で爆笑させてくれる。
こういった脳味噌が腐りきった博打ばかりを好んでするセンセイ(おそらく松尾スズキ本人がモデル)に主人公が聞く。
「センセイはなんでそんなにギャンブルが好きなんですか?」
「ギャンブル?それほど好きじゃないよ。疲れるし」
寝ても覚めてもギャンブルやってる男が何をいうのやら…。しかし、続きが深い!!
「もしこの世に神様というのがいるとしたら、すべての出来事は神の決定によるものだよな。(中略)神の行為を矮小化することで、神の視線の外側に出る。それがおもしろいんだが、なにせ、神はでかいからね。それを相手の遊びだから身も心もクタクタになる」
ギャンブルをやることが神を相手にした遊びだという。
全てが神の決めた計画通りに動くしかできないのが人間だとしたら、これほどつまらんことはない。
だから、神に挑戦したい。神の計画を先読みしてそれに値段をつけて矮小化したい。
そのことで初めて神と対等になれる。そんな感じのことだろうか?
おそらく、こういう哲学が多分あるだろう(詳しくないので判りましぇんが)
ま、キリスト教なんか、これに近い考えで、万能の神がいる中でどう生きるかということだろうけど。
西洋の哲学は全てキリスト教社会でよりよく生きるためにどう思考していてけばいいのかが出発点になっている(確か)。
実存主義だってキリスト教の神を否定して初めて出てきた哲学だ。
考えるにセンセイは、神がいると思っている。(キリスト教ではないかもしれないが)
だから、自分の行動、他人の行動、世界の流れ、全てが何か決まり切ったことをやっているだけなような気がしている。
それは、何をやっても無駄かもしれない。というニヒリズムでもある。
その中で、賭博をすることで、神と対等の勝負をすることで、生きていく意味を見つけようとしていたのかもしれない。
ラストは爆笑させられるだけではない。
本当に感動させる。
善意って何なのか?
偽善って何なのか?
悪意って何なのか?
松尾スズキ本人がモデルであろうセンセイは、老人俳優の必死に生きる様を見て、「勝てねェなぁ」と思う。
真剣に生きる滑稽さと哀しさ。
善意を信じきれないけどでも、信じてもいかもしれないという希望。
それを真摯に描いた作品だと思うよ!少なくとも俺は!
だが、油断はできないセンセイはこうも言う。
「俺の言ってることなんてほとんど冗談なんだから」
…そっすか。