当代随一の翻訳家37人が、自らのなりわいについて綴ったエッセイをまとめた一冊です。岩波書店の雑誌「図書」に2003年5月から2006年5月まで連載された「だから翻訳はおもしろい」の原稿がもとになっています。
連載時の通しタイトルには「だから翻訳はおもしろい」とありますが、本書に掲載された文章からはそうした無邪気な思いが立ち上がってくることはありません。言語構造も文化的背景も大いに異なる外国語の文学作品を、日本語という異質な世界に組み替える途上で、おのおのの著者たちが味わう、苦悩や焦慮、居直りや諦念、当初の期待値とは正反対のそういった感情の渦巻きに憔悴しきる姿ばかりが記されているのです。
ならばそれほど辛い所業に翻訳者たちはなぜ身を削り続けるのか。
菅啓次郎は「そこにはつねに発見のよろこびがあるから、と答えるしかない」(176頁)。
金原瑞人は「そこに生まれてくるのは新しい作品なのだ。自分が生み出した子供なのだ。なら、産みの苦しみは当然だろうし、その苦しみはある意味、快感だろう」(198頁)。
辛い作業の果てに翻訳者たちを待ち受ける、マゾヒスティックともいえる愉悦。それが翻訳者たちを捕らえて離さないのでしょう。
あわせて巻末には、それぞれの翻訳者が「翻訳家をこころざすきっかけとなった本」、あるいは「記憶に残る翻訳作品」を掲げています。多くが、多感な10代もしくは20代前半の学生時代に手にして打ちのめされるかのような思いを味わった本をあげています。このリストを眺めると、その当時に自らの心が打ち震えた体験を、今の若い読者にも届けたいという強い思いが、彼ら翻訳者たちを強く突き動かしているのだろうなということが容易に想像できます。
翻訳という、魅力的でありながらもどっぷりとそこにつかるには少々怖さを感じる特異な世界。それが垣間見える一冊です。