柴田が書いたあとがきに、「翻訳の神様から見れば、我々はすべてアマチュアなのだ」とあるように、両者の回答は、体系化された技術・翻訳論議に向かうのではなく、翻訳を行う際の、動機や心構えを説明することに費やされている。例えば「大事なのは偏見のある愛情」(村上)とか、「ひたすら主人の声に耳を澄ます」(柴田)とか、あるいは「(翻訳することによって、原文の世界に)主体的に参加したい」(村上)といった具合だ。
途中に、「海彦山彦」と題したカーヴァーとオースターの同一の小品(巻末に原文がある)の競訳が掲載されており、プロ翻訳家たちとの最後のフォーラムでは、これを巡った質疑が展開する。文脈や文体のうねりといった、一般論では語り尽くせない領域で具体的な論議が進行するこの部分からは、競訳ゲームのおもしろさという以上に、テキストと翻訳家との間で生じる本質的なスリルが伝わってきて、非常におもしろい。劇的な魅力たっぷりの、本書の白眉と言っていいだろう。(玉川達哉)
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翻訳の話となると、ついいろんな誘いに応じてしまうという村上氏。その言葉通り、3回の公開では自身についての翻訳の魅力を赤裸々というほどに語っている。氏の小説での比喩表現には独特のものがあるが、参加者との対話でも、「翻訳はおばんざいみたいなもの」(冷蔵庫の食材でささっと料理を作るように自然体でするもの)などと、会話での喩えも独特だ。
また、柴田氏のほうも、村上氏よりは職業としての翻訳家をより強く意識していることが感じられ、翻訳を目指す人にとっては、参考になる言葉がつぎつぎと出てくる。
競訳は、とても価値のある試みだったと思う。レイモンド・カーバーの翻訳の際は、カーバーの翻訳を全編にわたってしている村上氏の日本語のほうが長文となり、いっぽうポール・オースターの翻訳の場合はポール・オースターの翻訳を多く手掛ける柴田氏の日本語のほうが長くなった。このあたりは、両者の各原著者に対する思い込みがそうさせているのだろうかと興味深かった。
もともと村上氏と柴田氏は村上氏のジョン・アーヴィングの『熊を放つ』のときに村上氏が翻訳のチェックを柴田氏に相談したことが関係の始まりだという。このふたりの仲のよさ(基本的には尊重しあい、時にたがいにツッコミを入れる)が、惜し気もなく翻訳を語らせる原動力となっているんだろう。
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