羽生の将棋観を読み解きながら、「思考」についての著者の思いが言語化されているとは思うが、果たして羽生の将棋を"言語化"しているのかと考えると疑問が残る。そういう意味では羽生の将棋の解説と考えて手に取るべきではない。著者はエッセイでも小説でも一貫して作品と作者の関係性について語っており、それは端的に言えば小説は作者を超え、小説自身が独自に運動している、ということだ。そこにおいて作者の意図などはあくまで小説のもつ運動に比べれば付属する存在でしかない、と。
その小説観、芸術観を、羽生の将棋観にも見出した著者が、羽生と自分との「共鳴」を言語化しようとしたのが本書だと思う。
羽生は著作も複数あり、マスコミへの登場も多いので実に多くのことを語っている。必ずしも著者が共鳴した将棋観だけでは捉えきれない、むしろ矛盾するような発言もあるが、本書は解説ではなく、あくまで著者による批評として受けとめる必要がある。
批評もまた、批評の対象を超えて独自の運動をするものなのだ。
棋譜の解説ではなく、棋士の評伝でもない、将棋を題にとった批評文として興味深い一冊。