本書で描かれるのは「恥」である。「恥」という感情は何のために存在するのか? 人間にとって「恥」という感情があるというのはどういう意味を持つのか? そもそも「恥」の基準は何なのか? といった内容が1〜3章で描かれ、その上で、近年増えている(とされる)「羞恥心が無いように思われる人」がどうして増えたのか、という事が考察される。
本書によれば、他者とコミュニケーションを必要とする「社会」を形成する人間にとって、「恥」とは、その社会規範から孤立しないようにするための「警報装置」としての役割を持っている。そのため、社会によって「恥」の基準は大きく違うし、また、年齢・立場などによる違いも大きい。日本の場合、血縁・地縁を基準にしたミウチ、セケン、タニンによって「恥ずかしい」と感じるかどうかが規定され、「セケン」が最も恥ずかしいと感じるものだと言う。そして、ジベタリアンなどが増えているのは、地縁の弱体化によって「タニン」の領域が増え、同時に趣味などの多様化によって「狭いセケン」が乱立したことが原因では? とする。つまり、「恥」の基準そのものが多様化している、というわけである。例え話、調査、図などをうまく用いて説明されているため、実に読みやすく納得もできる。なるほどなー、と思ったことも多い。
もっとも、ジベタリアンなどが恥ずかしくない、ということにやや批判的な視線が注がれるのだが、その事自体が悪いのかどうか、というのは議論の別れるところだろう。「恥ずかしい行為」と「迷惑行為」は、重なる部分も多いのだが同一ではない。そこだけがちょっと気になるところではあった。
とはいえ、なかなか面白かった。