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ひょんなことから若くして料理学校の経営者となった辻静雄は、日本の一流レストランのシェフたちが判で押したように同じような贋物料理しかつくれないことに愕然とした。それは、外国船のコックが船の中でつくっていた料理が広まったものだったのである。
本物を求めてのゼロからのスタート。話を聞くためだけにアメリカに渡る。世界屈指の美食研究家チェンバレンに会ったとき、辻は自分の探していたものがわかったと妻に語る。
「きみには黙っていたけど、大の男が料理の勉強をするなんて、恥ずかしかったんだよ。でもチェンバレンさんと話して、料理も立派な研究の対象だと分かったんだ」
黙って何もいわない妻に、辻静雄は告げる。
「辻調理師学校を日本一の調理師学校にしてみせるよ」
彼はその決意通り、日本一の学校をつくりあげた。フランス料理普及の功績でフランス政府から勲章を授与され、世界中の友人から尊敬される。それなのに、本人が成功の美酒に酔いしれていないのはなぜなのか。
無用な飾りをいっさい捨てた海老沢泰久の文章は、芸術的料理を描き出すばかりでなく、日本の料理界を根底から変貌させた男の人生を料理のレシピのように具体的に語り明かす。
執筆前の取材と調査に2年余り。フランスの三ツ星レストランを歴訪し、辻静雄当人へのインタビューも50回に及んだという入念さは、辻静雄の情熱が作者にも伝播したからだろう。
グルメですらない自分が、この文庫本を繰り返し読み、おいしい料理を食べることの喜びや、つくることの深さを、何度も何度も味わうことが出来た。それは辻静雄が自分の舌と体をはって成し遂げた実践研究と、その半生を徹底的に追跡し、再現して見せた海老沢泰久の名文のなせるわざである。
辻氏が使命として行なった自宅での食事会も開高健、阿川弘之氏などの随筆にあらわれているのを散見するが、本当にわかるということがどれだけ凄絶な事かは、結局辻氏がフランス料理の食べ過ぎによる内臓の故障、というしかない疾患で亡くなられた事実が教えてくれる。
海老沢氏の語り口はいつもと同様に平明で、時には”軽すぎるかな?”という位で、大変読みやすい。本書を読んで辻氏に興味を覚えたら、是非氏自身の著作も読んで欲しい。
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