美食倶楽部の調理主任兼海原雄山の付き人として本作品の脇を固める中川得夫。
雄山からの信頼も厚く、その温厚誠実な人柄は部下からも心から慕われているという、この漫画には珍しく良識あるキャラクターなのですが、この巻ではある事件をきっかけに彼の知られざる一面が明らかになります。
事の発端は車の往来が激しい通りでの出来事。雄山を乗せた車が運悪く渋滞に巻き込まれそこで長らく立ち往生してしまいます。
その渋滞たるや夥しく一向に進まない状況に次第に苛立ちを募らせる雄山ですが、いつまで経っても好転せぬ事態に遂に堪忍袋の緒がブチっと切れてしまい「馬鹿どもに車を与えるなっ!!」などと怒声を上げてしまうのです。言っちゃったよ。
これにはみんなびっくり。私も掲載当時かなりの衝撃を受け、目玉が飛び出し、開いた口が塞がらなくなり眼科へ整形外科へと奔走することに相成りました。
これ即ち「海原雄山渋滞事件」と呼ばれるもので、これには雄山の性格を良く知るものでさえもさすがに無いだろうと驚き呆れ返ったものですが、しかしながらこの場面、雄山の大胆な放言を前につい見落としがちになってしまうものの、実は問題に上げられるべきなのは雄山より寧ろ中川の方なのです。
なんと中川はこの無理難題に対してこともあろうに「ははっ」などと戯けたことを宣ったのです。
この場合の「ははっ」というのは明らかに承知・応諾といった意味を含んだ返事なのですが、彼はいったい何を承知したのでしょうか?何か見通しがあっての発言なのでしょうか?
例えば雄山の威勢を借りて政治家に働きかけるとか、はたまた「馬鹿は車に乗るな!」などと書かれたプラカードを掲げ、お台場を練り歩くつもりなのでしょうか?
思いつく限りの策を巡らせたとしても所詮は素人の浅知恵、我が国の交通問題は一個人がどうこうできるような軽いものではありません。非現実的です。
かようなことは鼻を垂らした阿呆でさえ理解できていることですし、当然中川自身も十分認識している事でしょう。
それならばなぜ彼はこのような発言をしてしまったのでしょうか?
思うにこの「ははっ」の真意は別のところにあったのではと考えるのが妥当のようです。
つまりはっきり言ってしまうと中川は天からこの馬鹿者車所有問題に真剣に取り組む気など無かったのです。
雄山が鬼のような形相でかかる痴言を吐いた時、恐らく彼は「また、このおっさん無茶なこと言いよるわあ。どないせいっちゅうねん」と舌打ちをしてたことでしょう。
そしてクレーマーに絡まれた店員の如くこの困った主への策を弄さねばと考えを巡らした果てに「とりあえずお茶濁しておこ」的なおざなりな対応でこの場を切り抜けようと判断したのです。
これは主君に仕える傭人としてあるまじき態度です。誠意がありません。誠意大将軍。
表面上は雄山に心服し忠勤を励むような態度を見せながら内実は事なかれ主義の腐りきった性根の持ち主。それが中川。
何というさもしい男でしょうか。これを知った自分は大いに幻滅しました。豊崎もびっくりの超イメージダウンです。
この一件で、はからずも雄山への不忠義を露呈してしまったわけですが、今思えば事あるごとに雄山の仇敵である山岡士郎と密通していたのも不自然に感じます。
年も大きく下回る相手を「士郎様」と呼び必要以上にへりくだり、反面自分は「中川」と呼び捨てられているにも関わらずへらへらと卑屈な薄笑いを浮かべる。あのうやうやしさにはやはり裏があったと捉えるのが自然です。
山岡と通謀していたのも恐らく二人を天秤にかけ、趨勢を見極めるがためのことだったのでしょう。
そして仮に雄山に凶事が降りかかり、山岡側に大勢が傾くような事があれば、それを察知するや否や「自分最初から山岡派だったんすよ。ファッキン至高!ビバ究極!」などと脇にいる者が思わず赤面する程のお追従を並べるに違いありません。
彼の心底がどこにあるかは未だ我々には分かりません。小悪党のまま力振るう者の太鼓持ちとして納まり返るだけなのか、それともさらなる野心を抱いているのか。
しかし連載当初より続いた雄山と山岡の骨肉相食む争いが一応の終止符を打った今、物語は新たな展開が求められているのは確かです。
そうなると必然的に浮かび上がるのがこの中川。
究極と至高のバトルが繰り広げられていた中、この痴れ者は読者の目の届かぬところで野心を胸に着実に力を蓄えるべく根回しに奔走していたのでしょう。
そして種種の条件が整った頃合を見計らい、ここを先途とばかりに当事者達を前に突然の裏切りを表明。そうなると私は予測しております。
それから先は、昨日の敵は今日の友よろしくとばかりに少年ジャンプ的王道に則って雄山と山岡は一蓮托生手を携え、悪の枢軸中川と中川率いる四天王(おチヨ、良三、岡星、岡星嫁)と対峙していくことになるでしょう。今からその様が目に浮かんでくるようです。
そこまで考えると、やはりこの14巻というのはここまでの長い道のりへの伏線だったのでしょう。
そのさり気無くも先の展開を見据えた布石の萌芽のようなものに気づいた私は改めてこの作品の深さ・壮大さ・緻密さといったものに大いなる感銘を受けました。そしてそれを称揚すべくブラボーと立ち上がるや拍手喝采しながら腰を振り、雄たけびを上げ、それでも自分の想いは留まらず、つぶらな両眼からは滂沱たる涙が溢れたちまち体内の水分が失われ、危うく渇死しそうになりました。
それゆえに私はこの素晴らしい作品に出会えたことを神に深く感謝し日に5度メッカに向かって十字を切りながら読経するだけではなく、この感動をより多くの方々とも分かち合うべく強く推薦したいと思います。