1970年代は筆者が中学生〜高校生でしたが、戦前戦中戦後世代から物が豊かな時代といわれましたが今ほど物や情報が豊かとはいえず今改めて見ると実に質素な生活をしていたと思います。生きる糧を求めてストイックになるということ自体当時は若者としては当然であったのかもしれません。実生活にヒントを求めて創作にかかるというのはそれは大変な作業であると思います。安部氏の作品で「トマト」や「私生活」など生々しい生活の日常で得られたエッセンスを基にしている点や、町田マリーさんは安部氏によれば美代子に少し似ているということ、ドリアンガールズ1分半劇場で見る町田マリーさんとは違った面が見られて興味深いといえます。「生活感が滲み出たやや若くないくたびれた体」という評もありましたが、考えてみればAlwaysの昭和33年代に小雪扮する女性のような十頭身の女性が存在すること自体不自然であります。マリーさんのヌードは猥褻感は全く無く、深く刻み込まれた陰影がアベシンのドラマの印象に近いものと思います。「まだあきらめないの?」と作者に語りかける美代子のサディスティックな愛情も分裂症の作者の現実か非現実化判別し難い内容や表現も侵しがたい純文学的な味わいがあります。懐かしい「ガロ」に執筆連載してきた作者達も出演していてリアルでアングラ的な雰囲気と共に叙情的とも感じられ愉しむことができました。