罪を犯した人間と罪を犯す必要も欲求も持たない人間が対峙した時、何が起こってゆくのか?
凶悪事件を起こした元受刑者11人を自治体で引き受けて欲しい…
法務省からの申し入れを戸惑いながらも受け入れる町長。
すべてを秘密裏に運ぶよう、町長から元受刑者の世話を委託された月末と大塚。
彼らの日常を描く前置きはほとんど無く、間髪入れずに凶悪事件を起こした元受刑者たちと次々に対面してゆくこととなる。
月末らのキャラクターの詳細が無いのは、読者を彼らの位置に座らせようという作者のねらいであろうか。
法務省の指示通り、犯罪者らに真心をぶつけて難局を乗り切ろうとする月末だが、異様な肌触りの出来事を次々と体験する事になる。
「羊の木」を読みながら思い出したのは、郷田マモラの「モリのアサガオ」。
こちらは死刑囚と刑務官の物語であった。
死刑囚の心中を地獄巡りさながらに読み込んでゆくことで、我らも彼らと同じ地平に立つ弱い生き物だと説いていたように思う。
対する本作は観念の世界を離れ、生き物と向き合った時の体温や呼気の臭い、目と目が合った時の感覚などの生理的感触を持つよう迫ってくる。
ふだん「犯罪」とは遠い世界の話のように感じるし、彼らの罪をどうとらえるかなど深く考える事もほとんど無い。
しかし陪審員制度が採用されたいま、裁くという行為に己が関わる可能性はあるのだ。
そして恒久的に自分や身内が犯罪に関わりのないまま過ごせるという補償も無いのである。
裁判や新聞記事では、罪を裁量するに必要な本質など分からぬのではないか。
犯罪小説のように、自分を納得させてくれる動機や理由が明確な事件など稀ではないのだろうか。
わたしは、罪という川のあちら側を覗きながら、戦慄と共に被害者意識を募らせる事しか出来ないのだろうか?
「人間」を知る為の歩みはまだ始まったばかりだ。
巻末の山上×いがらし対談を読んで、そう思った。
山上たつひこ、いがらしみきお両氏の真骨頂、どんな結末が待っているのか目が離せない。