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<罪と罰>の終り方は実に無心論者のドストエフスキーらしいものだった。
決して”罪を犯した人間も祈れば許される”とかいう類ではなく、
最後の3行のあたりの”彼を救ったのは・・・だった”という表現。
この最後の3行が素晴らしく、
それ以外の長いストーリーが全て<伏線>のように感じた。
読んだことのない人には是非お勧めしたい作品です。
罪を犯し罰を受ける。
しかし罰を受けても罪は消えない。
罪を背負い続けて生きる人間を救うものはなんなのか?
彼は自首しますが、シベリアに流刑になると今度は、思い出したように、自分はどうして自首してしまったのか、と悩みはじめます。彼には自分の過去の思想を否定することができません。自分がナポレオンではなかったこと、たかがシラミ(=老婆)を潰したことに動揺してしまったこと、がフガイナイだけです。彼は決して殺人を後悔して自首したのではありません。ーーラスコーリニコフを決して安易に救済しようとしない、という姿勢に、どこまでも現実に肉薄しようとするドストエフスキーの迫力を感じます。
ラスコーリニコフに本当の復活が訪れるのは、物語の終わる直前、この長い物語も残りあと数ページというところです。それは感動的ですが、どこか曖昧です。ラスコーリニコフに何が起こったのか、どうして世界が一変してしまったのか、そこには<何か>があった筈ですが、その<何か>をドストエフスキーは具体的には描写していません。きっと描写できない、言葉(論理=哲学)では語り得ない<何か>だからなのでしょう。
哲学とはシェイクスピアを考えることではないか、というような意見を読んだことがありますが、現在の私にとって、このシェイクスピアと唯一交換可能な作家はドストエフスキーだけです。
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