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この作品は主人公がころころ変わります。つまり登場人物たちのキャラがみんな(他を圧倒しうるほどに)たっている。下巻の冒頭の主人公はマルメラードフの妻カチェリーナである。ちょっと圧倒されます。
ポルフィーリィが最後の登場する。今回は何の打算も無く、ただ彼に自首を勧めに。ポルフィーリィに有利な証拠は無い。けれども彼は確信している。この対決は確実にポルフィーリィの「勝ち」である。この対決だけでもこれは優れたサスペンスだった。このあと彼は2度と登場しない。何とかっこの良い舞台!の去り方なのか。エンターテイメントとはこうあるべきである。
中盤の主人公はスヴィドリガイロフであった。詐欺師としての半生。彼はどんな女もナンパ出来ると豪語する。ラスコーリニコフの妹ドゥーニャでさえ、あともう少しのところだったと彼は言うのである。ラスコーリニコフよりスヴィドリガイロフに共感してしまう私は異常なのだろうか。結末近く、自分が殺した(かもしれない)妻の幽霊を待ち望んで会うことが出来ない場面。私には彼の孤独がいたいほど分かる。
終盤はラスコーリニコフの魂の救済が描かれる。彼は「予定通り」自首する。ソーニャから十字架のペンダントを貰って。ところが、である。彼は監獄の中でさえもまだ自分の「罪」を認めていないのである。私は物語の最後に至っても彼は殺人を犯!すに至ったあの論理を捨てていないように思える。私の読み方は間違っているのだろうか。間違っていなかったなら、この論理の扱いを我々はどうしたらいいのだろうか。ところで、救済は別のところから現れる。つまりソーニャから。「二人を復活させたのは愛だった。」「思弁の代わりに生活が登場したのだ。」
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