著者からのコメント
犯罪被害者の苦しみはどこから始まったか?
すべてはロシア文豪の題名でも有名な「罪と罰」に原因がある。
犯罪をおこなったら処罰される、これが刑罰の鉄則であり、近代国家の刑事司法はすべて「罪と罰」の二文字に集約されるといっていい。
しかし、この明々白々なセオリーには肝心なことがひとつ抜け落ちている。それは「償い」だ。犯罪がおきれば、当然、被害者がでる。犯罪被害者こそ凶行の直接の犠牲者であり(国家が犠牲者ではない)、本来、国家の刑罰のまえに、被害者への償いがあってしかるべきだ。「罪と罰」は、犯罪者に対する国家の刑罰権をあらわしているだけで、被害者の救済という視点がすっぽり欠落している。これでは被害者は永遠に救われない。
では、犯罪者に真に償わせるためにはどうしたらいいのか?
実は、その答えは百年前に一度でている。かつての日本では「罪と罰と償い」が一体になった裁判がおこなわれていた(明治から大正・昭和にかけての附帯私訴)。戦後、アメリカから「罪と罰」型の人権主義が入ってきて廃止されたのである。その後の刑事司法はご存じのように「犯罪者の更生」(立ち直り)を唯一最大の目的にしており、犯罪被害者は社会の片すみに追いやられている。
小著『罪と罰、だが償いはどこに?』は、旧来の人権派が長い間、封印してきた「償い」に光をあて、あらゆる犯罪者に一生かけて賠償させる「たったひとつの完全なやり方」を提言している。
犯罪被害の問題に釈然としない思いを感じている方に一読をおすすめしたい。
内容(「BOOK」データベースより)
殺人を犯した人間が「人権」によって守られ、「金がない」というだけで被害者への賠償義務を免れる―この理不尽な現実を劇的に変える!“賠償監獄”での「完全賠償」を追求し、真の償いの道を示す究極の書。