熱湯にたゆたう茶葉をこんなに神秘的な美しさで表現した映像があっただろうかと
見た時にカルチャーショックに近い感銘を受けました。
緑茶という日本人にとっても日常的でありふれた事物を
ロマンティックな小道具に変えた発想がとても新鮮です。
瓜二つの面影を持ちながら対照的な性格の二人という設定は使い古されたものであり
劇中の小悪魔的でコケティッシュな女性のキャラクターも
ヨーロッパ映画などに散見する類型を越えるものではありませんが、
趙薇の華やかで可憐な美しさにはやはり魅了されます。
相手役の姜文は実年齢では既に不惑を過ぎた人で
風貌的にも都会で生活する適齢期の青年を演じるには妥当でない配役に思えます。
しかし、一筋縄ではいかない女性たちに根気強く接し
彼女らの心を開いていこうとする度量の大きさは
彼の様な人でなければ出せないとも感じました。
この映画では変容のただ中にある北京の都市風景も重要な役割を果たしています。
お見合いに使われる茶館風の喫茶店はもちろんですが、
初対面の二人が再会を約束する場面で
昔ながらの建物と建設途中のビルが混在する北京の街並みを映し、
旧式の価値観と新しいライフスタイルの間で彷徨する人々の心境を暗示しています。
その後、姜文演じる主人公が訪ねていく友人の前衛芸術家の住まいや
プチブル風の人々が利用するサウナやナイトクラブといった先鋭的な都市の風景が
中心的な背景になっていきます。
しかし、そこで最先端の洗練を享受しているはずの人々の表情は
どこか空ろであったりあるいは神経症的な不安に取り付かれていたりします。
満たされないまま都市を漂う人々の姿が
ヒロインが覗き込むガラス瓶の水中で揺れる茶葉と次第に重なって見えてきます。
孤独な現実と侘しい虚構にさ迷う人々の心の闇を洗練された映像で捉えた作品です。