教壇に立つはずだった男が、ヒョンなことで、北斎のように街中でドクロマークをデザインしている。
プロ・ボクサーを目指した男は、1枚のチラシがきっかけで、闘いながら撮る写真家になった。
家業の米屋を継ぐはずだった男は、異端のアーティストとの出会いによって、絵を描いて暮らすようになった。
店づくりと出版でカリスマになった男は、すべてを捨てて彼女と世界旅行に出てしまった。そして帰国し、島を目指した。
瀬戸内海の釣り人だった男は、沖縄で仲間をつくり、東京、世界に飛び出した。
何もかも外れていた男は、5年ぶりにトランペットを手にした瞬間、シーンの最先端に立った。
地の果てで絶命しかかった男は、祖国に生還し、誰よりも街の片隅に安らぎを見出すようになった。
地方都市のワルガキだった男は、ロックを愛するあまり、大きな体制の中でケンカするようになった。
レコード会社の名物A&Rマンだった男は、17歳のときの衝撃を思い出し、会社をやめてインディ・レーベルを設立した。
老舗の仕立て屋の番頭だった男は、ヤクザな客にうんざりし、ヒップでモダンなテーラー派になった。
画家の道をあきらめてバーのマスターになった男は、10年ごとに悟りを開き、いつしか絵も描くマスターになっていた。
人権派弁護士を父に持った男は、ビジネス・ロイヤーの道に進まず、街頭闘争に参加した。
バブルの時代にバーテンダーになった男は、客と接するうちに、コンセプトより心を大事にする店をつくるようになった。
音楽業界のスターになった男は、武道館公演の3日後、地元ダウンタウンのパブに帰っていった。
コンピューター・グラフィックの先駆者だった男は、工作の愉しみを忘れずに、世界ではじめての彫刻作品をつくった。
3歳のとき酒の味をしめた男は、1軒のバーとの出会いがきっかけで、服屋をやめてバーテンになった。
28歳で数千万円の借金を抱えた男は、自力で雑誌を出し続け、世界中のトップ・アーティストのダチになった。
何の夢も希望もない炉端焼き屋やカラオケ・スナックの店員だった男は、エルヴィス・プレスリーのロックンロールと出会い、やがて世界ナンバー・ワンのエルウ゛ィス・シンガーになった。
'60年代、新宿〈風月堂〉のフーテンのひとりだった男は、個人事務所に絵を飾るところからはじめて、世界的に知られるギャラリーのオーナーになった。
大学生のときにTVの仕事をはじめた男は、ヒット番組を生みだしながらも、業界で名を売るような生き方はしなかった。
19歳で月に3600万円稼いだ男は、そのファッション・ビジネスの成功は追わず、商品開発で自己表現するようになった。
世界を旅することから人生をはじめた男は、魂に響いてくる世界を、東京の街の片隅につくり出した。
島に生まれ育った男は、サーフィンを通し、グローバルでスピリチュアルな生き方を確立した。
学校を飛び出しカメラを手にした男は、サーフィン雑誌の波の写真に感動し、やがてサーフィン・フォトグラファーの第一人者になった。
ニューヨークで歌い自分の生き方に目覚めた男は、20年経ったいまも、変わらずに歌い続けている。
'80年代に一世を風ビした流行を仕掛けた男は、45歳で挫折し、1軒のロック・バーから再出発した。
子どもの頃、銀幕のスターに憧れた男は、その時代遅れの夢をスピルバーグの映画で叶えた。
母親の店の手伝いから選曲をはじめた男は、カスタネダの教えのままに、選曲の喜びを世に広めた。
“悪行”を重ね消息不明になっていた男は、2度目の映画監督の仕事に賭け、見事に復活を遂げた。
何をやっても仕事が続かなかった男は、放浪の旅に出て、やっと続けてやりたいことを見つけた。
原子力発電所につとめていた男は、会社をやめ故郷も出て上京し、その4カ月後、ローリング・ストーンズ東京公演の楽屋にいた。
22歳でスカGとジャガーを乗りまわし、ブランド物に湯水のごとく金を使っていた男は、インドに行って物欲が消え、謎を深めた。
70歳を迎えようとするいまも、サイケデリック・アートのゴッド・ファーザーである男は、売れに売れまくっても、何ら生き方は変わらない。
というような、自由で自分らしい最高の生き方を手に入れた、生い立ちも仕事も様々な男たち33人のライフストーリー。