著者は毎日新聞記者。6年の特派員時代に出会ったアフリカの人々を描く本書を読んで私が感じたのは、著者の中に渦巻く3種の感情です。
貧困と差別の大陸アフリカというステレオタイプに対する「苛立ち」。
そうした誤解が自分の属するメディアの積み上げてきたものだという「居心地の悪さ」。
メディアはその誤解をクリアできるのかという「焦り」。
著者はメディアが大量生産するアフリカ的風景に抗するように、自らの足で灼熱の大陸を歩いて記事を書いていきます。時には息子とともにバスを降り、バスに乗れない現地の人々の目線で町を見ることを試したりもするのです。息子は父親のその意図を理解するにはまだ幼いのか、それともその意図に何か釈然としないものを感じ取っているのか、不満げな様子を見せます。「どうして僕たち歩いているの」と題するこの一編は大変優れたエッセイとして読みました。
しかし著者は取材活動を続けながら、メディアがアフリカを伝えることの限界を感じているようです。それは著者が、サミット会場で「貧富の格差是正」を叫ぶデモの若者たちに対して次の言葉を綴ってしまう点に現れています。
「一年でいいからアフリカに行って自分の暮らしを打ち立ててみたらいいと思う」。
しかし私は同意しません。アフリカに暮らした者だけが南北問題を論じる資格があるというのなら、ジャーナリズムの存在意義を否定することになります。著者はこうした若者を「経験もないくせに」と叱りつけるのではなく、そんな彼らに情報と疑似体験を与えるための報道を目指すことにこそ精力を傾けるべきです。
とはいうものの、「アフリカを知らない」私のような読者にも、著者がアフリカの真の姿を伝えたいという思いは痛いほど伝わる書です。
そしてまた、そのもどかしげな思いを、アフリカに暮らした著者ですら、十分に果たすことができない大陸。それがアフリカの姿なのかもしれません。