例えば『市民政府論』の39節は何がなんだかわからないが、この本では意味が
わかる翻訳になっている。
さてアダムが、他のすべての者を排除し、ただ一人で、全世界に対し私的支配権
所有権を有するという前提があるが、これは決して証明はできないし、また何人の
所有権もそこからは説明されない。そういう前提に立てないでも、ただ世界はまさ
に人の子たちに共有として与えられたのである、という前提に立てればよい。そう
すれば、土地のそれぞれの部分について、それを個人的に使用する明瞭な権原を人
々が労働によって得ることができたことを知るのである。そこでは権利についての
疑いはないし、また争いの余地もあり得なかったのである。『市民政府論』
こうして、アダムが、他のすべての人間を排除して世界全体に対する私的な統治
権と所有権とをもっていたといういかなる意味でも証明不可能で、他の人間の所有
権をもそこからは論証することのできない想定に立つのではなく、世界は人の子に
共有物として与えられたという想定に立つことによって、われわれは、労働がどの
ようにして世界のそれぞれの部分を私的な使用に供する人間の権原を作り出すこと
ができ、そこでは、いかに権利をめぐる疑問や争いの余地がありえなかったかを理
解することができるであろう。『統治二論』
『市民政府論』の訳が、前との繋がりも何もなく文章の方向性を失った文章に
なっていることは『統治二論』の訳と比べれば一目瞭然だろう。
『市民政府論』は買っても読めないような本だったのである。岩波書店は
罪滅ぼしに『統治二論』をできるだけ早く岩波文庫化すべきではないか。