ドゥルーズの敵はプラトンでありヘーゲルでありそしてカントなわけです。そして「敵がどう機能しているか」を書いた本の一つが『カントの批判哲学』(法政大学出版局)でした。
一般に、ヒュームの懐疑論・知性論はカントによって乗り越えられたということになっています。が、たぶんドゥルーズはそう考えていないのでしょう。ヒュームにこそカントを超えるヒントがある、と。
人間の認識能力に感性・悟性・理性という役割をあらかじめ分担させたカントの合理論に対して、ヒュームの経験論では、五感に与えられた「印象」が「観念」へと変転し再び「印象」をかたちづくる、と考えます。そしてこの変転のありかたがある種の「システム」として成立している、それが人間の精神(心 mind)であり、これによって人間の認識(真偽の判断)も情緒(感情)も、そして社会を成り立たせる正義や道徳や芸術や宗教なども成立してくる、と考えます。この「システム」をどのように記述してみせるかが、若きドゥルーズの早熟ぶり(22歳でこれを書いた!)の発揮でもありました。文章自体はいったりきたりで読みにくいが、ドゥルーズの中では短くまとまった論文だとも言えます。
単純なトピックとしても、ヒュームが《社会の利害の対立の原因はエゴイズムにあるのではなく、狭い共感にあるのだ》と言った、というあたりなども面白いでしょう。身近な者にだけ共感するからこそ、対立が起こるわけです。