宮脇俊三さんが逝去されて、もうすぐ九年。
ずいぶん時間が経った。
その間、宮脇さんをテーマとした書がいくつも出版されたが、自筆の作品はこの本が最後とのこと。
「時刻表2万キロ」以来、多くの作品を長きにわたって愛読してきた私にも、ついに「終着駅」がおとずれたわけである。
古くからのファンの方なら同窓会でのなつかしい思い出話のように楽しめるし、新しい方なら入門編としておすすめできる。
読んでみる。やはり宮脇さんの文章は格別だ。静かな口調で語りかけるような一文に深い味わいがある。
「旅情というのは、突然に発情してくるものであり、さあ終着駅だ、と思ってもなかなか催してはこない」 (宗谷本線・稚内駅)
「新幹線に旅情を覚える人はすくないだろう。もしいたとすれば、よほど発情しやすい人である」 (日中線・熱塩駅)
「船べりから見下ろしているような錯覚をおぼえる。こんな駅は日本中どこにもない」 (鶴見線・海芝浦駅)
「しかし、私は冬の旅が好きだ。日本が広くなるからである」 (冬こそ旅の季節)
「転落するクルマがある。タクシーの運転手は、落ちるほうも大変だろうがそれを回収するほうはもっと大変だ、と言った」 (V字谷の秘境を行く)
「私は日本列島の図をフリーハンドでかなり詳しく書くことができる。けれども、長崎県だけはお手上げだ」 (肥前、海と島めぐり)
「寝台車は大好きである。私がいちばん好きなのは睡眠で、そのつぎが鉄道だから当然、ということになる」 (夜汽車よ!ふたたび)
「せめてもと、地図と時刻表と虫メガネとで机上旅行をするほかない、という手紙に私は胸を打たれた。この人たちの旅行代理業者でありたいとの意識が強くはたらいた」 (最長片道切符の話)
「すでに五十年も時刻表とつき合っているから、座右の書どころか身体の一部になっているが」 (時刻表症候群)
「死ねない、とは大げさに聞こえるかもしれないが、あの頃の日本人は死の予感のなかで生きていた」 (夜行列車との六十年)
「机上旅行は読書と旅という両極をふまえており、贅沢の極致だ」 (身近なところにも「旅」はある)
「が、記念写真の対象にならない状況においてこそ、旅の価値は高まる」 (同上)
「だいたい、おもしろがって、しゃべったり書いたりしたものは、聞く側、読む側からするとおもしろくないのが常である」 (汽車旅讃歌)
「殺意がないのに相手は殺意を感じて怯える。この方が現実味がありはしまいか」 (金沢との苦い関係)
「国境にこだわること自体が、すでに女性らしくないと思うのだが」 (書評 七つの国境)
「目移りがするが、どれ一つをとっても紛れもなく北杜夫の味がする」 (書評 マンボウ博士と怪人マブゼ)
切れ味するどい文はまだまだある。
もうひとつ。格言にも近い文。
「名著とは、浅く読んでも深く読んでも、人さまざまな視点から読んでも、それなりにおもしろい本を指す」
「微細な各論を坦々と並列または積み重ねるだけで、いつのまにか読者に巨大な像を結ばせるような書物こそ読みごたえがある」 (時刻表を読む楽しみ)
最後に。
「昭和二十年八月の敗戦までの昭和前期について書かれた概説書の類を読むと、腹が立って、本を床に叩きつけたくなることがある。
あの時代を懸命に生きた日本人の心情に思いを致さず、単純明快な史観で記述されたものがあるからだ。
その程度のものを戦後の世代が教科書などで読んで、わかったつもりになられては、やりきれない」 (書評 わたしは軍国少年だった)
終着駅です。長い間、お世話になりました。ありがとうございました。