僅か十数年の創作期間に千を超える作品を生み、高い評価を受けながらも三十二歳の若さで海に消えた、夭逝の天才画家・難波田史男。
これは彼が人知れず書き遺した日記、創作ノートをまとめた魂の記録である。
父は抽象画の大家、難波田龍起。経済的な面でも文化、教育の面でも恵まれた環境に育ったようだ。少年期の彼はしかし、世間から龍起の子と見られ、その名声に庇護されるしかない自分の弱さに苦悩する。
買ったばかりのテレビに夢中になる父を「子供らしい」と冷評し、父に同調するのみの母にも心の内で反発する。しかしそれは、学生運動盛んなその時代の若者に共通したブルジョワジーへの反感、誰もが経験する思春期の通過儀礼のようなものでもあったろう。
少年期の彼の興味は絵画よりもむしろ文学に向いていたが、やがて己の文学的才能の限界を感じ、父と同じ美術の道に進むことを決意する。
その時、父の創り出してきた作品達は圧倒的、絶対的な存在として彼の前に立ちはだかる。父の存在もまた、越えても越えても眼前に続く連山の如くそこに横たわる。
それでも彼の心は依然美術の世界に留まりはしない。知的探究は文学から更に音楽、哲学、自然科学に至るまで、その広がりは衰えることを知らない。
『絵も小説も同じ次元のものなのだ。ただ絵は小説で用いる言葉の面積が広くなっただけなのだ』
大学ノートに築かれた舞台の上では、時に現実と創作とが交錯し、言葉とクロッキーとが同体となって乱舞する。思索はとめどなく広がり、海への憧れ、海外への憧れ、宇宙への憧れ、生と同時に死への憧れを募らせ、希望と絶望とが混濁した波濤となって彼自身を翻弄する。
兄との九州旅行の帰り、瀬戸内海を渡るフェリーの上から、史男は忽然と姿を消す。
若くして画壇に一角の地位を確立しつつあった彼の突然の消失に、周囲は困惑し悲嘆したに違いない。
しかしそれは、既に宇宙までをも自分の表現世界の中に取り込んでしまっていた史男にとっては、必然の終着駅だったのかもしれない。