ページをめくって最初の言葉が「ぼくはいつもぶれている」というのでやられました。
「ぶれない人」というのは普通ほめ言葉になるのですが、車がまっすぐ進むためには細かく左右にハンドルを動かしているわけで、「中庸」というのは目的ではなく結果なのです。
対談のテーマは八十講あり、どのページもかめばかむほど滋味が出てくるのですが、初期のビートルズのようなローファイな録音の方が、現代の録音よりよほど「空気」を伝えている、今の音楽はそもそも「空気・空間」がない、というのは長年わが国のロック・ポップスの最先端にいた人の意見として大変おもしろいと思いました。シンセなどの電気楽器をコンピュータに直につないで録音し、加工した音楽を耳の中に入れたイヤホンで聴くというスタイルは、現代ではもっとも当たり前の音楽の聴き方ですが、空間の空気をまったくふるわせていない音楽というのは、やはりかなり不自然なものです。
ワタシ(評者)は東京の下町の出身ですが、この本を読み進めるうちに、なんとなくコドモだった昭和四十年代くらいまでは、身近にこんな話しぶりをするお年寄りがいたなあ、と思わず懐かしくなりました。細野さんは、いわゆる山の手のアメリカナイズされた「新・東京人」とは明らかに別種の、いまや絶滅危惧種となった「旧・東京人:江戸人」なのです。細野さんの言葉にはお釈迦様の教えやネイティブアメリカンの思想などの影響もあるのですが、含羞を伴い、ひらりひらりと身をかわす生き方そのものが、現代では少なくなった本当に粋な「江戸人」そのものです。
夏の夕の縁台や冬の縁側のひなたで、粋なご老人同士がお話しされている、その傍らで耳をそばだてて聞いているような、心地よく滋味あふれる一冊です。