20世紀後半、物理学の研究は、巨大な実験装置 (加速器) を擁した大規模な研究所を中心とした、集団作業へと変貌をとげていきます。
加速器の標的の先には、泡箱と呼ばれる素粒子検出器が置かれ、強力な電磁石で加速された粒子線(ビーム)が標的に命中すると、泡箱内に発生した素粒子の飛跡を複数のカメラが写真に収めていく。
日に何千枚と撮影されるその写真を、スキャナーと呼ばれる女性作業員たちが1枚ずつチェックし、角度や寸法を測りながら、写りこんだ素粒子の飛跡を雑誌大のスケッチブックに写しとる。
物理学者は、その膨大なスケッチの中から、期待される現象を探しだす。
それら一連の作業は、多くの人員と膨大な作業量のうえになりたっています。
たとえば、チャーム・クォークの存在を確認したブルックヘヴン国立研究所の実験では、2.5秒ごとに10億個のニュートリノを泡箱に撃ち込む作業を毎日24時間体制でおこない、撮影した写真は50万枚。
そして、写真から見つけだした飛跡を新発見として発表するためには、さらに7カ月もの計算を要したとのこと。
一方、理論については、群論をベースとした枠組みが成功をおさめていきます。
というのは、あとから結果を振りかえったキレイごと。
研究途上の物理学者たちは、混沌ともいえる状況のなかを、手探りで進んでいくことをよぎなくされます。
実験結果を見て、自身の理論に目立たぬよう変更を加えていく理論物理学者の姿は、なにかその場しのぎにも見え、ちょっと美しいとは言えないようなところも。
本書の記述は、素粒子物理学界がその成功に酔いしれた、チャーム・クォークの発見までで終了しています。
残念ながら、超ひも理論やトップ・クォークの発見など、1980年以降のできごとに関する解説はありません。
本書全体のバランスやボリュームを考えると、それはそれでしかたのない判断だったといえるでしょう。