本作の舞台となるのは、ほぼ半分が少年少女犯罪の更正施設、それも男女それぞれの施設をともにしっかり描いている。この点では、戦後の日本映画の中でも空前のユニークさを誇っている。悲劇なのに決してジメジメしない乾いたタッチ。このタッチにはしびれる。あまりに突き放した描き方なので、本作を見て号泣することはできない。その代わりズシンと重いものが胸に長く残る映画である。
こういうタッチは、すぐ後に続く太陽族映画や松竹や日活のヌーベルバーグの登場をも予感させるものだと言えるだろう。
そして社会の底辺を背景にしながら、ここまでプラトニックな愛を描いた映画は珍しい。がわがフェイバリット監督の一人、今井正の最高作は、なんと言っても個人的には独立プロで作った『キクとイサム』になるが、本作は個人的にはそれに次ぐハイレベルな作品。1958年ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞した、世界が認めた映画である。
後半は話が一転、放射線被爆の悲劇に突き進む。木村功が演じる若くて真面目な医師が8月6日当日に広島には居なかったのに被爆の疑いがある症例が増えていることをミステリータッチに話し始める下りから、本作のテーマが一気に浮上してくる。余談だが、こういう場面を見ると、昔はいいお医者さんがたくさんいたとつくづく思う。
直接に熱線を浴びていなくても、いわゆる「死の灰」を体内に取り込んだことで起きる放射線障害を一般的に「内部被曝」と言っている。実は、この内部被曝なるものは、日本政府は公式には未だかつて認めたことはない。つまり内部被曝というのは日本では公式には存在していないことになっている。なぜ政府がそういう対応なのかと言えば、それを認めてしまうとその補償の際限がなくなってしまうからだ。これも余談だが、従って福島第一原発事故で海に流れ出した放射性物質に汚染された魚を食べて体調が悪くなっても「内部被曝」とは認められないということである。
話を戻そう。戦後すぐ、広島、長崎には米軍がすぐに乗り込み、現地の症例を含む報告書は全て米国に持っていかれてしまったので、その後のこうした症例は、現場の医師たちが一つ一つ丹念に集めていくしかなかった。本作の集団検診の下りはそういう部分を描いたもので、現実にあった話である。
政府が公式に認めていないことをテーマにして映画を作る――コミュニスト今井ならではの良さが現れた、最高の成果が本作である。