ローランド・エメリッヒは誰も見たことのない大スペクタクルを得意とする超大作馬鹿映画の帝王だと私はひそかに敬愛しています、なにせ「デビル・ドール」まで見てますから、
本作も彼の志向が十二分に反映された大スペクタクル歴史SFですが残念なのは先の展開が容易に読めてしまうことでしょう、「ID4」などのヒット作のようなこの先どうなっちゃうの?というワクワクするものがそうとう不足してます、ただしこれも狙って作った可能性もあるんです、歴史以前の太古の時代、神話的な物語を作ろうとすればするほど本作のように若者の旅立ちと冒険と帰還をメインにする以外ないからです、
日本の有名なアニメ「もののけ姫」が異常な物語なのは同様に若者の旅立ちと冒険を描きながら若者が帰還しないことなんですが、そこにこそ同じ物語作家でありながらエメリッヒと宮崎駿が思想的に対極にあることの証明になっているわけです、若者が冒険から帰還することで彼は伝説になりそこから神話が生まれることを宮崎は拒否しているとも表現できるでしょう、
現在の娯楽映画としての娯楽性に不足はあるが、ワンカット・ワンカットは全編が見所、出演者たちもそれぞれがいい演技をしていると評価できます、そして見逃してならないと思う点が以下になります、
オマー・シャリフによる格調高い冒頭のモノローグで主人公の暮らす現在の村の状況が語られます、
"Old Mother...the last of her kind...only she speak to the sprits of the earth...and ask the wisdom of the Fathers to save our people...Many times she asks...until one night they answered her call and sent us a sign...
なんと感動的な、と私は思います、
Old Motherは巫母と訳されていますが、日本史でいうところの巫女です、彼女のみが彼らの祖先である地の魂たちと交感することができ、つらい村の現状をどのように救ったらいいか繰り返し尋ねるのです、そしてある夜、ついにその"sign"が"sent us"送られていくるのです、askに対するanswerが「サイン」である点も実に象徴的です、彼らはそのサインが導く解答のために旅立つのです、
注意しなければならないのがサインは彼女自身が語るものでなく「送られて」くることです、巫母は唯一の人物として村で尊敬されているわけですが、彼女の威厳のようなものの源泉は彼女自身ではなく彼女が伝えることができる「その先」にあるのです、
たいしてクライマックスで主人公たちが戦うムー大陸の生き残り達らしい文明人たちはどうでしょう、彼らがあがめるのは「自らを神」と証するリーダーなのです、 エメリッヒの作風からすれば彼が歴史と神話学方面に造詣が深いことはいうまでもなく、この自らを神と称することができる者たちが何になぞらえられているのかは20世紀に炸裂した共産党に代表されるファシズムの歴史そのものともいえるでしょう、 ピラミッド建設現場を舞台とする後半は、自ら神であると恥じずに自称できる者たちの邪悪さやいかがわしさがとてもわかりやすく描写されているでしょう(いまでも時折、ニュース映像としてこれとまったく同じシーンを目にすることの滑稽さを忘れてはいけません)、
この対比に私は日本の歴史を思うのです、そして巫母の姿に天皇の聖性を思うのです、いまに続く天皇の聖性はとりわけ古代においては天皇個人を超えたその過去に連なる大いなる聖性によってもたらされたことを思うのです(この段は古事記日本書紀の基礎知識なしでは理解不能でしょうがあえて説明しません)、