内容紹介
さまざまな精神症状を正しく把握し、理解することは、心を病む人々と接するうえで最も重要といえます。本書は、精神医学・臨床心理学・精神看護学・リハビリテーション医学・社会福祉学等の実践を始めた読者に向けて、治療・看護・援助を行ううえで必要な考え方、姿勢、患者との接し方を、初学者にわかりやすい平易な表現で解説すると同時に、精神医学における最先端の問題も取り上げ、今後の課題を提供します。
出版社からのコメント
◆下記書評が掲載されました◆
シリーズ第一巻は圧巻の嚆矢
こころの科学 No.145(2009年5月号) ほんとの対話より 評者・神田橋條治(伊敷病院) 時を越えて読み継がれ導きの役をなす書籍を「古典」と呼ぶ。初版の時点ですでにその位置を約束される著作が稀にある。
待望久しい、原田憲一先生による「症候学」を手にした。嬉しい。症候学は精神医学という文化の始原であり基盤である。症候学がなければ精神医学はなく、症候学が揺らげば精神医学も不安定になる。昨今の様相の一因である。
症候学の作業は精神現象を「認識」して「記述」することであるが、両者は互いに影響しあうので、作業は錯綜する。言葉が参与するからである。あらかじめ輪郭定かに存在する事物を拾い集めて命名する作業ではなく、連続と流動とを本質とする現象界を、言葉で切り分けて取り出す作業だからである。
その作業は古人により営々と続けられてきている。それをまず押さえておかねばならない。文化の継承である。
そのうえで、現在の精神医学の暗黙の要請を読み取り、さらには、自身の体験との整合性に照らしながら、新たな認識と記述とを組み立てねばならない。当然そこには、未来への視点も必要である。
加えて、原田先生の論述には、論を組み立て視点を選択してゆく自己の作業それ自体への客観視がある。その姿勢に馴染む言葉は「真理への愛」である。探求の熱情と自己抑制である。評者が先生に「症候学」を懇願した理由である。
びっくりした。三五頁に「まわりの人のことが気になりますか?」「どんな風に?」が愛用の質問としてあげられていたからである。桜井図南男先生愛用の質問とまったく同じだ。で、気がついた。評者の原田先生への敬愛には、桜井先生への追慕の転移が含まれていると。恩師も、探求の熱情と自己抑制の人であったし、自己省察の人であった。だが、自己の技術を客体化する作業をなさらなかった。それゆえ、名人の位置に留まられた。先生が本を書いてくださらなかったわけも、評者の原田先生への懇願の執拗さの謎も解けた。
原田先生は自身の作業を客体化して読者に提示してくださっている。おそらく、先生の誠実さの現れであり「真理への愛」の延長なのだろうが。この姿勢のせいで、「記述現象学」と自覚される先生の世界が「フッサール現象学」へも開かれている。さらに、先生の誠実さは語られる言葉の一つひとつに重みと背景とを含ませる、あるいは匂わせる。
本書は、中山書店の「精神医学の知と技」というシリーズの第一巻である。圧巻の嚆矢であり、続く人々の苦労が思いやられる。
(後略)