4月28日(2009年)に身罷ったことを存じませんでした。
物心ついた時から身近にいらした(作品が身近にあった)ので、空気みたいな存在で、いる(ある)のが当たり前のような感覚だったので、こうして亡くなられたと知っても、欠如感はなく、どちらかというと、かえって親近感の深さ・度合いが増す、みたいな感じがするような、不謹慎ですが奇妙な感覚に浸っています。享年80歳。
もう本当に、数々のすばらしい粟津潔ワンダー・アドベンチャー・ランドを全面展開して見せて下さって、ありがとうございました。
実際に現物として、彼の数々の作品は、それはたとえば鎌田忠良の『日本の流民芸』(新人物往来社1974年)の外箱のデザイン画だったり、『週刊アンポ 創刊号』(1969 年11月17日)の表紙だったり、アンヌ・ヴィアゼムスキーの顔のアップのジャン=リュック・ゴダールの映画『中国女』(1969年)のポスターだったりするのです。
考えてみると、それより前の1月11日には、日本のエッシャーと言われた福田繁雄が76歳で逝ってしまわれ、さらに、それより以前の昨年(2008年)の12月27日には木村恒久がやはり80歳で逝去と、続いていますね。
ええっと、あの田中一光が亡くなったのが、7年前の2002年1月10日でしたから、存命でしたら79歳なので、やはり同時代人ですね。
この他の著名なグラフィックデザイナーといえば、残念ながら横尾忠則(1936〜)は今や画家という括り方をしないと叱られますので除外せざるをえませんが、杉浦康平(1932〜)・マッド・アマノ(1938〜)・長友啓典(1939〜)・宇野亜喜良(1934〜)など、ほとんどが同世代で、辛うじて戸田ツトム(1951〜)あたりが第2世代とでもいうのでしょうか。
いずれにしても、私たちが生きている日常生活のありとあらゆる場面・領域で、単なる物にしか過ぎない存在に、生き生きとした命を吹き掛けて、潤いや癒しや活性感を与えられるのは彼ら以外になく、今後も重要な任務を持っていることは間違いありませんので、もっともっと若手の方々にも頭角を現して活躍してもらわないと、ですね。
記述日:2009年9月4日