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63 人中、53人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
米国製エリートとは直接関係ない意見も多く書かれてありますが、面白いです,
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レビュー対象商品: 米国製エリートは本当にすごいのか? (単行本)
スタンフォード大学大学院で修士号を取った経験から、エリート教育の場としての米国大学院教育の特徴を紹介し、そこに集う各国の留学生やアメリカ人の国民性、米国エリートの思考や国家戦略との関係といった幅広いテーマについて考察している本。著者によると、米国の大学・大学院教育は、授業のクオリティは必ずしも高いというわけではないという。特に数学のレベルは低い。しかし、平均以上のエリートを生み出すために、以下の3つの能力をバランスよく育むようにできている。 ・多くの知識や経験があること(インプット) ・多くの知識や経験をうまく整理し、つなげる能力があること(プロセス) ・整理された知識、経験をうまく発信する能力があること(アウトプット) このため、連日膨大な読書及びレポートの課題が出され、プレゼンテーションや少人数教室でのディスカッションが行われる。キャンパスは大きいがちょっと退屈な環境の中で、ハードワークに日々を過ごして時間管理やプロジェクトマネージメントのスキルまで身についてゆく。 中国や韓国からの留学生が大変な数にのぼっている実態も説明している。著者も、歴史問題で多少やりあったらしい。日本の過去についての説明として正確とは思われない文書が英語になっていて、さらにそれが証拠として講義で引用されることもあるようで、その経験から日本は重要資料の英訳を進める必要があるとしている。一方で、原爆投下の是非といったことでもタブー視せずにオープンに議論しようとする姿勢は高く評価している。 特に後半は米国の大学や大学院についての説明から離れて、国際政治、歴史との向かいあい方、愛国心、日本のエリート教育のあり方、非ネイティブとしての英語力を極める重要性、留学で得られるメリット、一流の「頭でっかち」になる方法といった内容について、著者が現地で経験したことや考えさせられたことから発展させた各種提言や自身の考えを披露している。
58 人中、48人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
スタンフォードの窓から見た日本と、そのあるべき姿,
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レビュー対象商品: 米国製エリートは本当にすごいのか? (単行本)
本書はタイトルこそ「米国製エリートは本当にすごいのか?」と、あたかも米国エリート論であるかのような印象を受けるが、米国製エリートの実体についての記述は思ったほど多くない。中身の大半は慶應大学湘南藤沢キャンパスの総合政策学部を出た著者が東洋経済新報社に入社後、休職して留学したスタンフォード大学院留学体験記と、そこで感じた日米差異論、留学体験を通じて著者が感じた日本論となっている。「米国製エリートは本当にすごいのか?」という問いについては、著者の結論はあいまいだ。確かに大量の書物を読まされることで「知的体力」「知的筋力」が「平均的に」エリート大学の学生に施されるという点で「すごい」ということになるのだが、それ以上に「すごい」という点は、どうもあんまり見当たらないようだ。また日米のエリートの資質については、はっきりと「大差はない」「特にトップ層の資質は概ね同じ」と結論付けている。英語で早口で自信たっぷりに(傲慢に)自己主張するから、最初のうちは気圧されるが、耳が英語に慣れ、よくよく聞いてみると「たいしたことを言っていないことに気がつく」のだそうだ。 学生の資質、とりわけ日本のトップ大学の学生の資質には日米ともに大した差異は無い。そういう意味で、日本の受験戦争はしっかりと機能しており、優れた学生を選抜する役割をしっかりと果たしていることが分かる。それでも日米の大学格差、とりわけ日米の政治リーダーの資質には大きな懸隔がある。これには、むしろ大学を取り巻く空気、社会全体を覆う価値観の差異が大きいと著者は言う。とりわけ米国のすごいところは「自身の過ちを素早く把握・分析し、それを知識として後世に引き継いでいく力だ」という。これは野中郁次郎氏の名著『失敗の本質』でも指摘されていることだが、大いにうなづけるところだ。米国では2008年の時点でイラク戦争を大学の講義で取り上げ「なぜ占領政策がうまくいかなかったのか」「大量破壊兵器がイラクに存在するという誤報がまかり通ったのか」などがジャーナリズムのみならずアカデミズムでも盛んに取り上げられ、膨大な資料や論考を読みこんだ上で侃々諤々と議論が重ねられ、そこから教訓を導き出そうとされていたそうだ。日本ではこうした議論はなかなか起こらない。まず身内のかばい合いの意識が強すぎて「これを話すとあの人を傷つけることになる」と考えるのか、ヤバイ話は墓場まで持ってい行くことになって誰も真相を語らないし、まして失敗から教訓を学ぶことなんて出来なくなってしまう。こうした日本の風土を象徴する人物として著者は瀬島龍三をあげる。大本営参謀として日本の戦争指導の中枢にいて全てを知悉する立場にありながら、最後まで「美しい自慢話」だけして肝心なことを一切語らずに鬼籍に入った瀬島を、自己弁護に傾きがちながらも懸命にベトナム政争の失敗の教訓を語ろうとしたロバート・マクナマラと対比させる。日本の大学でも是非「日本はなぜ第二次世界大戦に負けたのか」「大蔵省はなぜバブルの処理に失敗したのか」「なぜ日本は20年も失われたのか」な、日本の将来の教訓になるようなテーマを学生たちが徹底討論出来るような機会を作って欲しいと訴える。 日本では議論というものが成り立ち難い。そもそも論者が批判を受けつけようとしない。日本では批判はそのまま「人格攻撃」と受け取られ、一旦相手を批判すると相手が根に持ち、以後、面談すら敵わないとなりがちだ。だから議論は常にすれ違い、相手を正面から論破するような対談はそもそも成り立たないし忌避される。議論がかみ合わないから結論は出ないし、「痛み分け」「喧嘩両成敗」となる。しかも源氏と平家に分かれて双方の陣営を罵倒し合う(ただし特定個人を対象にすることは、なるだけ避ける)から、議論は往々にして「神学論争」になりがちだ。現実から遊離した神学論争が日本で頻発するのは、相手のメンツを保ち双方気づ付かないようにする為の知恵なのではないかとさえ思われる。 先に著者が訴えた「大蔵省がなぜバブルの処理に失敗したのか」という議論さえ、日本ではいまだに決着がついていない。そもそも大蔵省も日銀も忌憚のない意見を述べる人がほとんどいない。しゃべっているのは榊原英資のような電波学者だけだ。最近では不良債権処理そのものが間違いだったとする元興銀マンの自己正当化の居直りとしか思えない『不良債権処理先送りの合理性』などという本さえ出ている始末だ。「批判をむしろ歓迎し自分の議論の欠陥をそれで補強する」と考えるのが一般的な米国との落差は歴然である。」 良い議論を展開する能力を料理人の能力に例えて1)良質な知識と情報(良質な素材)2)知識・情報をまとめてクリエティブかつ論理的にまとめるセンス(調理能力)3)対話のスキル(出来上がった料理を批評してもらい改善に生かす力)とする著者の視点も秀逸だ。とりわけ重要なのは「良質な知識と情報」で、料理の出来栄えの9割が素材で決まるように議論の優劣もベースとする知識・情報の質が左右すると著者は言い切る。この点で寂しいのが、ネットウヨのスター元航空自衛隊航空幕僚長の田母神俊雄で、著者は田母神論文を「信頼性が高いとはいえない文献から、自分のイデオロギーに合う、都合のよい記述だけを盛り込んだ作文」にすぎないと喝破し、「自衛隊の高官が、こんな杜撰な主張をしていては中国韓国に歴史を歪曲するなと言えなくなる」と切って捨てる。SAPIOや正論、WILLに掲載されている論文の大半は著者が言う通り「あまりにもクオリティが低い」と私も思う。 他にも著者の指摘には面白いものが多い。例えば全共闘世代のジジイが最近の日本の若者の米国留学生数が減少傾向にあることを指して「日本の若者が内向きになっている」などと説教するが、著者は「それは違う」と言下に否定する。なぜ日本の若者がアメリカに留学しなくなったかと言えば、少子化の影響が一番大きいのだが、それに加え「日本が豊かな成熟国家になって、アメリカの生活を羨ましいと思わなくなたから」が一番大きいという。実際、スタンフォード大での2年間の生活について「田舎なので勉強するにはもってこいだが、死ぬほど退屈」と言い切っている。 韓国人がなぜ米国に留学したがるのかの原因分析も面白い。韓国には良質な就職先(医師、弁護士、高級官僚、サムスンなどの一流企業)に就職できるのは同世代の5%のみで、後は月収88万ウォン(7万円)のフリーターみたいな仕事しかないそうだ。いわば韓国にはソニーとトヨタと新日鐵以外会社がないみたいなもんで、だから上の上からあぶれた準秀才たちは祖国を捨ててアメリカに走るんだそうだ。 著者は日中関係の将来を楽観していない。「経済相互依存が高まれば戦争は起きない」などということはありえない。むしろ人間関係と同じで親しくなればなるほど相手の嫌な面も見え、反発も高まるものとし、もし経済関係が深まれば戦争をしないのであれば、なぜ日本が米国に宣戦布告したのか説明できないと喝破する。 ネイティブ並みの英語を目指すのではなく、ノンネイティブの英語を目指せとか、文章を暗記して英作文能力を磨けとか参考になる話も多い。一読をお勧めする。
30 人中、24人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
雑誌記者の米国の各界指導者への個人的な感想をまとめた本,
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レビュー対象商品: 米国製エリートは本当にすごいのか? (単行本)
タイトルから「米国留学経験者が米国一流大学におけるエリート教育について分析した本」を期待して購入したが、そういった本ではなかった。「雑誌記者の米国の各界指導者(もしくはその卵達)への個人的な感想をまとめた本」と言った方が妥当。 第1章、第2章ではそれぞれ米国の大学制度の紹介や作者の留学中の体験と感想が書かれている。 それ以後の章では、経済、歴史、国際政治の各分野における米国エリートに対する感想が主に書かれている。ただし、これらの分野におけるエリート教育に関する記述は極めて少なく、これらの分野に米国人エリートがどう対処しているかが記述の大半を占めている。 作者が日本の将来に悲観し、新たなエリート育成が必要であるという意識に駆られてこの本を書こうとしているのは感じられる。ただし、この本は上記のとおり米国の大学制度の説明と、作者の留学中の感想、米国人エリートの判断への感想で成り立っており、残念ながら米国のエリート教育の分析にも日本の新たなエリート教育に対する提言にもなっていない。 作者が唯一提言らしいことをしている部分が、米国大学の学生の読書量について触れ、知識をインプットする教育が重要だとしている部分である。しかし、これすらも十分な説得力を持たないことをこの本自身が検証している。 作者は知力を(1)多くの知識や経験があること(インプット)、(2)多くの知識や経験をうまく整理し、つなげる能力があること(プロセス)、(3)整理された知識、経験をうまく発信する能力があること(アウトプット)の3つに分類したうえで、プロセスとアウトプットは訓練次第で誰しも一定のレベルに到達するので、人と知力の差をつけるうえで最も大きな比重を占めるのはインプットであると書いている。 ただし、この本を読んでいる限り作者がプロセスとアウトプットの能力を論理的コミュニケーションを十分に行えるほど備えているとは到底考えられない。 第1章、第2章は単なる事実と作者の体験に基づく感想であるから判断しがたいが、第3章以降の経済、歴史、国際政治の各分野における米国エリートに対する記述は、事実を並べた後に論理的な根拠の示さずに「私は米国エリートは○○と考えているのだと思う」といった文や無意味な例え話が並んでいる。また、それらが並べられた結果、何が言いたいのか明確ではない。 作者自身がプロセスの段階で大切なのもののひとつとして「論理的な厳密性」を挙げ、「最悪なのは、自分の知識をなんでも盛り込もうとして、何が論文の主題かわからなくなる」ことと述べているにも関わらず、それが書かかれている著書にてこの過ちを犯している。 本当に米国エリートについて分析し、日本のエリート教育について提言をしたいのであるならば、まずは米国と日本のエリートについて比較し、日本のエリートが劣っている部分の原因について分析し、日米のエリート教育の差との因果関係を検証する必要がある。そのうえで、日本に必要な教育を挙げなければならない。米国にエリートに対する感想は分析ではないのである。 こういったことをするためにはプロセスとアウトプットの能力が不可欠なのである。慶應義塾大学という名門私大を卒業し、米国に留学した作者でさえこの能力が身についていないということから、この能力は幼少のころから訓練を積まなければ一定程度育めないのではないかと考える。 以上のことからこの本は「雑誌記者の米国の各界指導者への個人的な感想」として読む分には良いが、それ以上に何か得られるかといえば疑問符がつくと考える。
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