せっかくの写真なのに印刷が良くないなぁ。もったいないことをしたね。
先に、ちょっと写真の歴史に関してレクチャー。
この日露戦争頃から「ガラス乾板」という新しい感光材が写真撮影に使われるようになって、写真表現が大きく変わったということを前提に踏まえておく必要がある。
古くは、英・仏・伊・トルコ4国と帝政ロシアが戦ったクリミア戦争のときから、戦争を記録した写真は残っているが、まだ当時は、「銀板」や「湿板」といった感光材を使っての撮影だったので、カメラマンの行動は著しく制約されていた。「湿板」だと、シャッターを開ける直前に、暗室でガラス板上に感光材(液体)を塗布しカメラにセットしなければならず、また、撮影後も短時間のあいだに現像処理を済ませないと画像が残らなかった。
というわけで、つねに暗室を傍においた撮影行動となる宿命を負っていた。最小でも暗室作業にはタタミ1畳ぐらいの広さが必要だから、勢い、暗室機材フルセットを荷台に積んだ馬車1台を引いての撮影行となり、おまけに感光材の感度が低くて、5〜30秒くらい、あるいはそれ以上の露出を掛けなければ写らなかった。
このことを知ると、すぐに誰でも気付くのは、その時代の報道写真には、ほとんど動くものが写ってない事実。
戦場写真というと、戦死体ばかり、記念写真のように整列した将兵、でなければ軍事施設とか捕獲した武器を陳列したものという有様で、この十年まえの日清戦争だと、まだ画家の描くデッサン画のほうが、戦闘場面を映像化するさいには報道の主流を占めていた。
撮影に「乾板」が導入されると、少なくとも1〜2ヶ月まえから感光材の用意ができたので工場で量産できたし、コンマ秒以下のシャッターチャンスでも写った。その場で現像しなくても数日ていどなら画像が出たので、後方に暗室を置いて、現場にはカメラと乾板だけ携えて行って撮影するという身軽な行動が可能になった。行軍する将兵の姿や砲撃する大砲の砲煙、軍民の日常的スナップショットなどが、初めて戦争写真に登場することになるのが、この日露戦争というわけ。
従って、単純に貴重な記録というばかりでなく、日清と日露戦争のあいだ十年間に生じた新技術の可能性を遺憾なく発揮し、それまでと異なる写真ニュースの先駆となったのが、この米国の写真誌、『コリーアーズ』の特筆すべき業績ということになるわけだ。
本書、特派カメラマン8名が日露両軍に分かれて撮影にあたり、また、前線だけでなく、後方のサンクト・ペテルスブルグや東京のルポなども取り混ぜて、幅広い観点からトータルな報道を目指した、たいへん興味深い写真報道の記録となっている。
でもねぇ、もうちょっと印刷が何とかなっていれば素晴らしかったと思うんだけど、返すがえす惜しいよねぇ。