広瀬氏ほど罵詈雑言を浴びせられ、枝葉末節なことで挙げ足を取られてきた人もいないのではないか。今となっては、それが原子力村に寄生する専門家や学者・評論家・ジャーナリスト・カルト教団によるものであることが明らかになった。
広瀬氏の言説に多少の勇み足や誤解があったとしても、私は広瀬氏を断固支持する。
なぜなら氏の著作には、良心の声と怒りが満ち溢れているからだ。そしてその強さ真摯さは、他の著者の及ぶところではない。
預言者めいた煽情的な語り口を指摘する声もある。しかし、それは無知と愚鈍が招いた福島原発事故に対する痛切な悔恨をいまだ持ちえない人間に、そう聞こえるだけである。氏が本書の中で主張する、六ヶ所再処理工場の即時閉鎖の正当性は、正気の人間には自明の理である。だが、原子力村の利権構造にどっぷりとつかっている人間には、事実に基づいた正確な分析も危険性の予測も、単なる雑音でしかない。
関連企業から研究費と称する賄賂をもらっている原子力安全委員会の学者は、細部の知識や議論の正当性を競う。だが、たとえそれがどんなに正確で整合性があろうとも、所詮はジグソーパズルのピースでしかない。問題は、そのピースで描く全体像である。そこに人間の良心や倫理観が否応なくあらわれてしまう。
客観的な科学など存在しない。科学はそれを利用する人間の動機や利権によって、いとも簡単に方向づけられてしまうのだ。科学に対する根底的な批判なしに、私たちはこの狂気の時代を生き延びることはできなくなった。私たちは、良心の声を聞く能力を高めなければならない。
「正常な神経を持ったエンジニアであれば、地球規模で続発する地震の大きな揺れと、耐震性の予測が全く外れてきた数字が示す実績を見ただけで、「世界一の地震国」日本の原発の大事故は間近にあると予測できたはずである。ところがフクイチ事故を起こしてなお、これでも大事故は起こらないと主張して原発再稼働に向かって走り続ける電力会社は、科学的・工学的に公明正大な議論をすることさえできない危険な人間の集まりである。少なくともアメリカやヨーロッパでは、これほど重大な原発メルトダウン事故を起こしたような場合には、公正なデータを国民すべてに開示し、あらゆる分野の知識と意見を戦わせて、対策の有無を議論するが、日本の原子力産業は、事実の隠蔽によって、勢力の維持を図る。これでは、われわれ国民が、命を預けるに値しない。(118〜119頁)」
「そもそも、自宅や農地を失い、友人・知人を失い、郷里を失い、職を失い、日々かろうじて生活を保ち、これからの生涯にわたる甚大な被害を受けた地元民をはじめとする被害者に対して、「加害者である東電」が、補償金の請求書類を送りつけ、「この書式に従って請求しろ」などと、請求の手順や項目を勝手に決めつけることが、法律的にはあり得ない非常識なことである。それをマスメディアが一度も批判していない。メディアが批判してきたのは、書類の分厚さや煩雑さだけで、そんなことは枝葉末節のことだ。たとえば泥棒であれ殺人犯であれ、加害者側の責任者が、苦しむ被害者側に、自分の罪状に関する書類を送りつけ、それに従って被害請求をしろと求めることが世の中にあるか、と考えてみれば誰にも分かるだろう。前代未聞の不条理が目の前で起こっているのだ。補償金の請求は、被害を受けた人間が怒りを持って、東電に対して、「これこれを補償しろ!」と怒鳴りつけて求める筋合いのものである。その方法や項目を、東電が決定して被害者に通告するとは何ごとだ。そんな権利が、事故を起こした加害者の一体どこにあるのだ。(251頁)」
これは広瀬氏の切迫した良心の叫びであり、怒りである。私たちは、人生の大半を費やして警告を発し続けてきた広瀬氏や小出氏を孤立させてはならない。一人でも多くの人がこの怒りを共有することを願う。