本書の原題は、“Qu’est-ce que le Tiers etat?”、1789年1月、革命前夜のフランスで
出版されたパンフレット、訳者曰く「歴史を動かした本」。
ここで意図される「第三身分」とは、聖職者、貴族に次ぐ層を指すことば。
「第三身分とは何か。全てである。ただし、足枷をはめられ、抑圧された全てである。
特権階級が存在しなければ、それは何になるであろうか。全てになる。しかも、自由で
生き生きとした全てになる。第三身分なしでは、何ごとも進まない。それ以外のものが
存在しなければ、何もかもずっとうまくいくであろう」。
本文自体は160ページ程度、しかし訳注、年表、解説で100ページにも及ぶ。
一言でまとめれば、18世紀末のフランスにおける既得権批判を謳った書籍。
ただし、煮えたぎる憎悪のためか、理論的構成がうまくいっているようには見えない。
既得権が批判されねばならないのは、それが少数者のみを潤すがゆえではなく、
その利益の収奪が不当なものであるがため。「共通意思は多数意見の中にのみ求められる
べき……それゆえ、フランスでは第三身分の代表者が国民意思の真の受託者だという
ことになる」と彼は言うが、言説の正当性を担保するのは、数ではなく論理。
理性に従いて特権を討ち、理性に従いて法を建てることこそが「近代」の本懐。
彼の見解に対する批判の典型は、シィエスも依拠するルソー『
社会契約論』における
一般意志と全体意志の区分において、正確に表現されている。ほぼ同時代、
J.ベンサムの
「最大多数の最大幸福」なる公理は、必ずしも意思決定プロセスにおける多数を要求する
ものではない。より現代的には佐藤卓己『
輿論と世論』も適切か。
この問題に限らず、思想史上の展開においてシィエスにその淵源を求むべき何物かを
本書が提示しているようには、少なくとも私には読めない。
本書における特権階級を現代日本におけるバブル期以上の後期高齢老害層と置き換えて
みてもさほどの違和感なく読める。そうした点ではあるいは優れて今日的とも言える。
巻末の解説で語られる「政治思想史・公法史における理論的意義」においてはいささか
過大評価の感は否めないが、「歴史的意義」をめぐる価値については鉄板(なんでしょ)。
当時の空気を知るためにも、フランス近代史を把握するには有益だろう一冊。