新進気鋭の科学者にして社会思想家による構想雄大、真率にして繊細、知情兼ね備えた詩人哲学者の清々しいエセーである。
「あらゆる人間の営為は、物質の動きによって表現される。たとえば、愛。触れ合う唇の湿り具合。絡み合う指の温度。鼓動の響き。肌の触感。あどけない笑顔からこぼれる生えかけの小さな歯。抱いた時の心地よい重み。日向くさい頬に透ける血管。留守番電話に残された「お休み、いい夢を」という囁きを反芻するせつなさ。熱で苦しんでいると、ひたとも動かず凝っと見守り、時々冷たい手の肉球を唇や頬にあててくれて鼻先を近づけそっと嘗める猫の潤んだ瞳。ういうものの積み重ねであり、個別の他者の持つ個別の記憶に支えられている」
という文章に接した人は、もうどうあってもこのあまりにも魅力的な詩文ファンタジーの世界の扉を押さないわけにはいかないだろう。
かつて学生時代のある時期に、動物実験で毎日のようにマウスやラットを数匹以上殺していたという著者は、養鶏場の近代的な工場で機械製品を作るように大量生産されるブロイラーや霜降り肉を生み出すために飼育されている大量の牛たちに対して、人間はいったいどのように向き合うべきか? 資本の論理に貫徹された食肉生産の現場において、人間が動物に対する優しさや残酷さとはいったい何か? と自問する。
このようなおぞましさと嘔吐と矛盾と困難と悲喜劇にみちあふれ、毎日が世紀末の人の世にあって、著者は、「生命体としてのわたし、身体をもつわたしに根ざしたこの倫理」をひしと抱きかかえる。そうして冷酷非情の法-規範、道徳との狭間に立ちすくみながらも、「いま何をなすべきか?」とレーニンやハムレットのように胸に問いつつ、今日も、明日も、明後日もけなげに前進する著者を、慈愛深き愛描綱吉はいついつまでもあたたかく見守っているに違いない。
♪人の世はさはさりながら愛ありて 茫洋