空耳といえばついタモリ倶楽部の「空耳アワー」を思い出してしまうが、本書によれば私たちの生活は「空耳に満ちて」おり、空耳こそが「世界を認識するための脳の巧みな戦略」であるとのこと。どうやら我々がふだん知覚している音は、決して耳に入ってくる音“そのもの”ではないらしいのだ。これは何も人間の聴覚が不正確という訳ではなく、「聞きたい音」と「それを妨げる音」が混じり合う日常の中で、安定して効率良く音を聞き取るための巧妙な脳の作為である。この作為が無自覚的に働くからこそ、耳に入ってくる音“以上の”ものが聞こえてくるのだ。
本書にもあるが、例えば「エリーゼのために」を一定間隔で無音にすると、音が飛び飛びで聞き苦しい。だがその無音部分を雑音で埋めるとあ〜ら不思議、曲が滑らかに聞こえる。これは人間の脳に雑音で聴こえない部分を補う能力があるためだが、結局人間というのは「見たいものだけ見えて、聞きたいことだけ聞こえる」都合の良い生き物なんだなあと改めて思ってしまう。