団地に暮らす主婦・絵里子(小泉今日子)は「家族は隠し事をせず、何でもオープンに話しあう」というルールを作って家族を束ねてきた。夫婦のセックスの話題も、二人の子供に訊かれれば包み隠さず語って聞かせる。
しかし夫には二人も愛人がいる。娘は親に内緒で不登校。そして絵里子が家族に語ってきた生い立ちにも、実は嘘があった…。
小泉今日子の演技には鬼気迫るものがあります。絵里子が自らの過去を封印しようとする姿を、小泉は台詞まわしの微細な抑揚の差で演じわけるだけではありません。心の奥底にある張り詰めた思いと、それを家族に気取られまいとして無理矢理抑え込もうとする気持ち、この二つがないまぜとなり、小泉は緊張と弛緩が同居したような、いわく言いがたい面差しを幾度も浮かべるのです。その面容にはぞくぞくさせられます。こうした演技が出来る女優になった小泉に驚嘆の念を禁じえません。
物語展開も見事です。昨今、「家族は何でも話し合える仲であるべき」という<友達家族>神話が当たり前のように信じられているように思います。この映画はそうした根強い信仰に冷や水を浴びせることでしょう。明文化された家族のルールは、人間がどうしようもなく持っている出鱈目さ加減を、家族に許そうとしません。家族の構成員全員に無垢を強いる絵里子の家族観は、字面を見る限りはこの上なく理想的であるはずなのに、実際には彼女の家族に、そしてまたこの映画を観る者に、息苦しさを与えるばかりです。
娘のマナが父・貴史にママを愛しているかと尋ねる場面がありますが、貴史の返答がひとつの家族像を言い当てています。若かった時に描いた夢を捨ててまで今の仕事にしがみついて小さな団地の中で家族を支えるなんてのは、愛がなければ出来っこない、と。
家族の愛情は、互いに語り合うものではなく、静かに感じ取るものではないか。
そんなふうに諭された気分になる映画でした。