2010年11月に愛媛県新居浜市でおこなわれた、ダライ・ラマ法王の仏教講義と茂木健一郎氏との公開対談の記録。
訳者(法王来日に通訳として同行しているマリア・リンチェン女史)の後書によると、法王は来日の度に「空に関心のある少数の人たちを対象に空を説きたい」「日本という仏教国の科学者と、仏教国である日本において対談したい」とおっしゃっており、関係者の努力で実現したものだという。
前半の仏教講義「空の智慧〜『般若心経』の教えから」(実際の講演ではこちらが二日目)では、諸宗教のなかでの仏教の特徴、仏教の基本である四聖諦(苦しみ・その原因・苦しみが滅した境地・それに至る実践、の4つの真理)を概観した後、チベットで用いられている大本(「観自在菩薩…」で始まる小本に「如是我聞」で始まる状況説明が付け加えられているもの。大本を見て初めて、『般若心経』が釈尊が瞑想中にあり、その境地をめぐっての観自在菩薩(観音)と舎利子(シャーリプトラ)の問答であることがわかる)を題材に、法話がおこなわれている。『般若心経』自体の解説は、「五蘊皆空」「色即是空…」「掲帝掲帝…」といった箇所が中心で、詳細で全般にわたるものではないが、仏教関係者の主催による講演であるためか、普段の日本講演ではあまり話されないような、中願派と唯識派の学説の比較や、ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』に基づいた、空をどのように瞑想するか、それによって心がどのように変化するか、といった実践的な内容についても言及されている。
茂木健一郎氏との対談は、ダライ・ラマ法王が長年科学者とおこなっている対話(心と生命会議)の成果の紹介が中心だが、おたがいに対話を楽しんでいる様子がうかがわれる。
仏教講義は、まったくの初心者には難解なところがあり、まずは他の本(来日講演の抜粋と来日やインド・ダラムサラでのプライベートな様子の写真などからなる『ダライ・ラマ希望のことば』や、同じ訳者による『ダライ・ラマ 智慧と慈悲』など)から読む方がとっつきやすいかもしれないが、逆にいえば、ほぼ毎年(年によっては年二回)来日されるからといって、ここまで深い話をされる機会は日本ではなかなかないので、仏教に深い関心がある者にとっては貴重な内容と言える。
心と生命会議については、この本で関心を持った方は、『ダライ・ラマ 科学への旅』や、本書でも言及されている修行者の脳を調べて瞑想の心に与える効果を検証した報告を含む『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』を見るといいだろう。
法王が望まれているのは、仏教関係者を対象としたインド諸註を踏まえた『中論』の解説や、脳の特定の場所に「魂」があるとするキリスト教の考え方に制約されない日本の学者との本格的な共同研究であるので、本書がきっかけになって関心を持つ人が増え、それらが日本で実現することを心から祈りたい。