アップダウンの激しかった安藤美姫選手が安定した演技を見せられるようになるまでの心の成長の記録です。
良い指導者に恵まれ、とんとん拍子に出世して、16歳で村主選手や荒川選手を抑えて全日本選手権で優勝、世界ジュニア選手権で優勝、シニアの世界選手権でも4位という華々しいデビューを飾る。そのため、メディアから注目を浴びすぎて、スケートをするのがつらくなっていく。「このころが一生のうちで一番、スケートが楽しくなかった。スケートをやめたいと、強く思ってしまった時期でした。」「その気持ちは上向きにならないまま、17歳の美姫は初めてのオリンピックシーズンを迎えてしまうことになる。高まりすぎた注目には耐えきれず、のしかかる期待にはこたえられず、自身の身体も、技術も、コントロールが利かない。体型の変化などで10代後半の女子選手が一度は必ず迎えるスランプに、さらに本人が望まない『安藤美姫ブーム』まで重なってしまった時期。スケートをやめたいとさえ思いつめた」彼女は、トリノオリンピックで結果を出せず、「惨敗」と書き連ねられた。「初めてのオリンピックを経て、美姫が得たもの、それは『人を信じてはいけない』という教訓だった。」
その翌シーズン、ニコライコーチとの出会いで、自分を取り戻し、07年の世界選手権で優勝。「しかし彼女は、万全な状態ではなく臨んだ試合で、望む以上の結果が出てしまったことに戸惑い、迷うことになる。」ストレスによる体力低下がひきおこした肉離れのため、08年の世界選手権を途中棄権。「マイナスのイメージの多い07−08シーズンだが、この年の地道な努力が実り、たった1年で正しいエッジで跳ぶフリップを身につけてしまう。アップダウンのダウンの年にもしっかりと得るものを得る、それはトリノ五輪を乗り越えた美姫だからこその強さだ。」
08−09のシーズンから、美姫は「スケートに自分の気持ちを入れる」ということにこだわるようになる。スケートに「心を入れられなかった」大会で好成績。思い通りに心の入った滑りを見せた大会では、最下位。「アスリートとして求められるスケート」と「自分が納得するスケート」、その両方を満たすにはどう滑るかを考え抜いた。その思いと挑戦は、09年3月の世界選手権で結実する。
「今日のフリーは3回転−3回転なしでいこう」というニコライコーチに、美姫は「その方針は納得できる。でも日本での反応を考えると…また安藤は逃げた、と言われる」と伝える。4回転や3回転ー3回転で注目を浴びた美姫選手だから、ファンはどうしても大技を期待してしまう。大技を回避するのは勇気のいることだった。そんな彼女に、ニコライは「フィギュアスケートはジャンプだけじゃない。難しいものをがんばって跳んでも、それだけでは順位につながらない。しっかり曲も理解して、どう自分を表現すればいいかをミキは知っている。ちゃんとミキは『スケート』ができる。不安定なトリプル−トリプルを跳ばなくても、音楽と自分をマッチさせて、お客様に見せられることが、きっと結果につながるよ。」と。そこで彼女は吹っ切れる。「美姫は、女性の持つ強さと美しさを4分間ですべて表しつくしたようなフリープログラムを見せる。感極まって立ち上がる観客、湧き上がる歓声。これほどの演技を彼女はかつて見せたことはなかったし、これほどの反応を安藤美姫が観客から引き出したことも、初めてだった。」「優勝した2年前の時よりも、09年の銅メダルの方がずっとずっと嬉しかった」と彼女は語っている。
10−11年のシーズン、安藤美姫は全ての試合で、フリーでほぼノーミスの演技を見せた。驚異的な安定ぶりである。3回転−3回転について、彼女は「体調が万全でない時に無理に挑戦しても、そればかりに注意がいってしまい、他のエレメンツに気が配れなくなってしまう。演技全体が崩れてしまうことになる」と回避した。ノーミスの演技は見ていて気分がいい。安藤選手の成長ぶりに感動した。
またフィギュアスケートとは何かを考えさせてくれる本でもある。