市民が他者を、裁く裁判員制度が始まります。有罪か無罪か、有罪の場合の刑に関する裁判員の意見は、裁判官と同じ重みを持つそうです。市民の見識・教養を前提にした制度です。その教養の現況を知りたくて本書を読みました。
著者は、大学や大学院でこの関連の演習を、10年以上持っているそうです。明治期の型修養の教養から旧制高校の教養主義を通って現在までの変遷を綿密に追い、日本の教養概念の特殊性をあきらかにしています。和辻や丸山を精読した論考があり光っています。歴史を省りみて、内省思索や伝統文化の受容による個人の熟成ではなく、今後は公民としての活動を意味する英・仏的な政治的教養が大事だそうです。公民活動の実例として、長野県飯田市の公民館活動の調査が報告されています。
ではどうすれば教養は実際培われるのか。著者は、己以外の存在である「世界」・「他者」との関わりを重要視しています。世界は、理解できる対象で、折り合いをつけることができるもの。また他者は、自分と同じ志向は持たないが、新たな関係を持ち作り上げていくことができるもの。そう考える心の習慣が教養の営みの基盤になるそうです。たしかに、それがないと、人に教えを乞うとか、自分から他人の本を読もうとすることもないでしょう。ここから著者が薦めるのは、時間を掛け、肩を張らずに、じっくり「読書」して教養を培う道です。
あやうい水の表面に漂い、しかも水面からは上に跳び出せない現代社会。そこを漕ぎ切る操舵法は、たしかに読書を通して自分で学ぶのがよさそうです。個人はこれですむでしょう。しかし義務教育の内容が揺れ続け、さらに高校・大学の生き残り競争が激化する現代では、組織教育での教養の内容と方法とは、さらにイノベートしなければならない状況に追い込まれるのではないでしょうか。