清瀬一郎
同じ弁護士として、これくらいインパクトのある人はいない。
戦争裁判を含め刑事裁判で「弁護人」となることは、社会的には勇気の要ることである。ことにマスコミで取り上げられるような事件で、被害が甚大であれば。しかし、裁判という制度があるのは、人間は万能ではない、警察官〜検察官という訴追者も時に誤ることを前提に行なわれる。でなければ、司法の役割など存在しないであろう。
しかし、この裁判には、もっと重要な問題があった。
B,C級戦犯はともかくも、A級戦犯に対する裁判は、法律を少しでも勉強した人間であれば、「おかしい」裁判であった。
刑事法の最大の原則である罪刑法定主義は、人を裁くに当たっては、事前に布告されていない法律で事後的に裁いてはならないという最低限の規律であり、これは、マグナ=カルタ以来の人類の知恵である。
例えば、私がこのように決して共産主義者をはじめとする進歩的文化人に批判的な書面を書いても安心していられるのは、後で彼らが「日本人民共和国」を設立しても、それまで禁止されていなかった「表現の自由」があるからだ。それが、ある日、「左翼思想に反するから処罰する」といわれたら、「自由な」思想信条、表現の自由はありえない。
東京裁判の最大の矛盾は、A級戦犯に対する事後法の適用であった。
弁護士として、記者クラブ発表を前提として「有罪前提」で来るマスコミに「無罪」を訴えるのは、本当にしんどいと思う。個人と国家の上下をつけるつもりはないが、「国家」の無罪を主張する重圧は大変であったろう。
この本は、晩年に書かれた。若い頃にもっと、しっかりと書いてほしかった。しかし、弁護士には「墓場まで持って行かなければならないこと」もあるんだよね。