著者であるポール・ブラントンは、1930年代当時、欧米では謎に包まれていたインドの聖者たちを訪ねます。
当時のインドはまだまだ未開の土地。その道なき道をジャーナリスト魂で訪ね歩き、ついに正真正銘のグル、ラマナ・マハルシを発見します。
(著書では「マハーリシー」となっています)
今では有名な「私は何者であるか?」という教えに彼ははじめて触れ、戸惑うものの、ラマナの持つ圧倒的な神秘的静けさ、神聖なる沈黙に心奪われていきます。
一度はラマナから離れるものの、ポール・プラントンは自分の内側の神秘的な声に強制的に追い立てられ、再びラマナに会う決心を固めます。
そして、ラマナの圧倒的な存在感の中で、しだいに彼は問い始めるのです。「私は誰であるか?」と。
この書を読むと、ラマナの教えの基本は言葉ではなく、圧倒的なエネルギーを放つ沈黙にあることが非常によく分かります。
「少数の集まりを、静寂が支配する。
時がゆるやかにすぎるが、沈黙は深まるばかりである。
私は宗教的な人間ではないが、ハチが匂い満ちて咲き誇る花に抵抗しえないのと同じように、私の心をつかみはじめる。
次第に深まる畏敬の念には、私はもはや抵抗することができない。
広間はある精妙な、触れることも形容することもできない、私を深く感動させる力に満ちてくるのだ。
私は疑いも躊躇もなく、この神秘的な力の中心はマハーリシー自身以外の何ものでもないと感じる。」(同書p167〜168)
また、ある悩めるインド人が、ラマナの沈黙の中で、たった2時間で救われる話もあります。
この偉大な沈黙の中で、ポール・ブラントンが自己を見つめ、自己を発見してゆく過程がリアルに描かれており、探求者にとって非常に参考になるでしょう。
ここからは私の個人的な意見ですが、沈黙は私たちの日常にも存在しています。
深夜の、誰もが寝静まった夜更け、私たちは沈黙を感じることができます。
その圧倒的な静けさは、人を内面へと振り向けます。
誰もが一度や二度は、そんな経験をしているのではないでしょうか?
私たちは、ラマナの肉体を通した沈黙に触れることはできませんが、そうした静けさの中で、静かに自己を問う時間を持つことは、ラマナの教えにかなっていると思います。
ともかく、この書はラマナ・マハルシの教えを生きた現実として知ることのできる、非常に貴重な書であると思いました。
ちなみに・・・・
この書は絶版にはなっていません。今のうちに出版社に問い合わせてみよう!